マウントするためのポピュラーな用語。

比較論上に必要ならば、さまざまな検証を同時に行います。

なので単に「今は」からはじまる文は、

相手の「時代遅れ」や「無知」を指さして

自分の優位性を主張する言い回し。

これ、モラハラ体質じゃないかしらん。バーゲン会場では、規格外の強さを発揮しそう(笑)

 

「今はどうしてこうなった」等の経過には触れず

結果が「今はこうである」を告げるだけならば

表面的になり、結果重視です。「現状追認」なる言い方もありますし、自分を疑うことはないに等しい模様。

おそらく「過程」に興味がないだろうし、対応に注力したいばかりで根本的な問題をなおざりなします。土壌が変化しても問題を感じないかもしれず。

 

変化は「進化」やら「退化」やら考えておらず、

「どうにかしたい思い」が甚大じゃないかい???

「思いの強さ」ばかり溢れても、根本的な問題から目を背けたら意味なくね???

というのか、気が重くてウザいし、執念が籠ってそうな狂気を感じて不気味。

 

 

こちらは漫画家で紫綬褒章を受賞なさった萩尾望都先生によるエッセイ。

 

書籍の内容は、デビュー前から親しかった竹宮惠子先生と共に「大泉サロン」が発生した経緯~トラブルの渦中を書いています。

書籍の発行前は世論に応じて対談を快諾する竹宮先生がおり、嫌がる萩尾先生との間に横たわる隠された秘話。根底には竹宮先生か萩尾先生に盗作疑惑を持ち、新居へ萩尾先生の出入りを禁じたことからはじまります。

当時に萩尾先生が理不尽を感じていればそこまでの体調悪化は防げただろうし、反論もできたと思います。ましてや状況から憶測したことを竹宮先生は話さず、周りの人々に疑惑を告げたことから萩尾先生がジワジワと追い詰められていきました。

竹宮先生にすれば自分を守ったつもりでしょうが、内向的と排他的は別であり当時から原因は竹宮先生側の嫉妬を指摘する人もいました。

 

きっとそのときは竹宮先生側のマウントが成功し萩尾先生が退いたので、数十年後に盛り上がった対談の要請でも竹宮先生は世論を味方につけ快諾し、世論に追い詰められる萩尾先生に結論を委ね勝者の理論を紡いだのでしょう。

よもやかような形で萩尾先生が時系列に沿った書籍を作り、公然と反論するとは思ってなかったのでは?読者のような一市民のファンはともかく、当時から関わりがあった周辺の人々ー特に片方の話だけを聞いて同調した人々ーには、萩尾先生が断固として嫌がる理由を知る機会になった印象。

 

書籍発行以後に竹宮先生が誤解に基づいた流言を謝ることはないだろうし、

「相手が嫌がっている」こと理由にして、自分が身を退いた慎み深い姿を印象づけそうよ。

有名無名にかかわらず、ここへ行き着きます。

 

現在係争中の京都アニメーション放火事件も、被疑者が盗用被害を主張したことがはじまりです。時代が移っても人の心模様は変わらず、かような判断は今も存在します。

私も二次などを書いておれば同様の疑惑を持たれかねず、現在までクレームがひとつもなく、とてもありがたい。

 

児童や学生間に起こるイジメも、根底にはかような判断があり被害意識が加害行動を起こしていることはありませんか?

「期待」と「嫉妬」は責任転嫁を起こす常套手段やもしれず。サイコパスの入口にもなりそう。