かような事件を正当化するつもりも、擁護するつもりも私にはありません。
ただ、実社会の在りようについてだけ書きたいと思います。
父親が実の娘を凌辱したところで、
口応えする娘が、反抗的で素直に聞き入れ従おうとしない娘に非があって悪いので、
父親に罪はない
こうした判決が下される現実を見ずに、この手の事件は語れないのではありませんか。
この場合、父親の「思い通り」になることが当たり前やら否や。
少なくともリンク先に挙がる事件は血縁者ではない他人ですし、
娘を凌辱する男について「実母はそのとき何をしていた」等の一般的な声は上がりますが、父親と母親は現在が家族であっても、元は他人です。
血縁者に対して性欲が湧いても気持ち悪さを感じない、非のある相手の心を折ることを強さと感じるならば獣社会とさほどの違いはありません。
それらを考えることはなく、「善し悪し」だけを基準に選別することが「人間らしい」かどうか疑問もないよう。
このような実情から、
どのような行いが「暴れる」に該当するやら、
みなさんは理解できますか?
「暴れる」定義が判然としなければ秩序は生まれません。定義が個々に違うから無秩序に様々なものが発展します。
また「陶酔」についても、定義が曖昧であれば気の持ちようになってしまいます。
これが「精神論」を生むのではないかしらん。
さすれば、リンク先の事件や娘を凌辱する男性を「陶酔者」と決めることもできません。
これらは「暴飲暴食」にも同様であり、
「暴れる」定義が明確でなければ、理不尽を訴えることもできます。
食い意地の張ったイケメンと食事をした際に私が感じたことは、また別の機会に書きたいと思います。需要はあるのかなぁ。