おっしゃる通り、暴力についての因果関係、事態の背景を軽視したら表面的な暴力がクローズアップされます。

だから、監督や教員が生徒への関心を希薄にすれば、

パブリックな部活動上だけで生徒と関わり、プライベートに踏み込まなければ、問題そのものが起こらず暴力にも発展しようがありません。

 

これほどメディアの媒体が増えたらライターの数も比例して増え当然につき、

どのような形で学校に注目が集まるやら、推測は困難な時代。

スクープを利用して知名度をあげたいライターにとっては、学校の問題よりも閲覧数やは販売数の問題を重視しませんか。自分の重視する問題を解決するために、発信の中心をどこへ持たせるかはライター次第になります。

 

各々が自分の夢を叶えるための公平性って、基軸は誤差があるでしょう。

 

ブログ主が話すキャパオーバーも、そうした結果に生じること。

部員である前に生徒であり、生徒の生活面について誰が責任を負うやら、本来は学校そのものではない?

昨今は国会においても同種の問題構造が多くて、視聴者としては感覚がマヒしそうではあります。マヒした結果、事件の表面だけをみて真相はなおざりになり記載事項をそのまま受け入れ、発信者の思うツボへはまっていく・・・

 

雪だるまはこうして大きなうねりになり、巨人のように動きだすのでしょう。

そのうねりを遠ざけるために、監督や教員はサラリーマンのように自分の部署の問題のみを考えて、部署を離れたら関係ごと無関心になれば熱くなることもエスカレートすることもありません。

保護者のみなさま、それに納得がいきますか?

 

生徒の生活面って、誰の管轄が妥当でしょうね。部活の指導者はそこへ関与せなあかんのかな?引責辞任に追い詰められた?