私が通った学校にも

『純朴でかわいい男心』を唱える男性教師たちがいました。

 

「不甲斐ない」や「無頼」の考え方は起こらないやら・・・

そして、このタイプの教師は総じてお手伝いを要求して、

お手伝いをする子はいい子

お手伝いを拒否する子は、協調性のない子

このように単純なカテゴライズにより学生を振り分けます。

業務に私情を挟んでおらぬかい?

 

たとえば放課後など

「私もすることが多いから忙しい」って断れば

「お前ら学生は能力が低いから忙しいだけで、先生らの忙しさとは違う」

このように、多忙になる理由の差を引き合いに出します。

大人と未成年を同じ土俵の上で比較することは、加減を考慮しておるかい?

 

昨今のお受験ブームは、私立の小中学校へ進学したい家庭が増えたことは、

上記のように「子供が集中する時間」を奪う習慣のない環境へ我が子を置きたい親心ではないかしらん(笑)

 

かくなる公立校環境下の卒業生は伝統を引き継ぎ、協調性の基準を持つのではないかしらん。

それは、教育と呼ぶのでしょうか。

 

これに先立ち、

私は通った塾の副塾長より、教えを受けていました。

「情を持ちだして自分の要求を通そうとする男性に流されたらいけない」

常々、このようにおっしゃっていました。その理由も副塾長は説明できます。

 

成熟した大人とは、どんな人ですか?

自立した仕事をする社会人は、どんな人ですか?

 

教育とは何を指すのやら、

病院がヒーリングを行わねば治療を受け持つ機関はどこやら、

社会不安の原因になりませんか。

 

寝たら治る、時間が経てば収まるのであれば、

年を食うほど「そそのかされ」たり「そそられる」こともなくなるだろうに。