察しの悪い人が人命や人心を預かる社会情勢は、

疑問を起こさないのかしらん。

 

 

あらかじめ伝えたら理解を得られるらしいのですが、

相手によりけりになりませんか。

相手も何らかの発達不全を持っておれば、想定通りにはいかないのではありませんか。

そして、この中で基準にしている定形発達とは、マジョリティを指すものではないかしらん。全体の平均値が変われば、マジョリティの指標も動きます。

 

タイトルのような人物は、

思いやりの乏しさが原因にあたるとは考えません。

慈悲の心や慰撫の術はどこへいったやしらん。

《自分のことばかり》に傾注している自覚を持たない人ほど、文中にあるような

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自分がミスをしたり

周りに迷惑をかけた状態なのに、

ヘラヘラしてたり、

「別に興味ないっす」

みたいな態度を

しがちな人がたくさんいます。

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こういう態度になります。

 

これこそが

我は赦されたる者なり

でしょうに。

そうしたら、誰が定形発達であり、誰が成熟した人間性であり、誰が未熟な発達になりますか?

反省の心を持ち育てなければならない大前提が、抜け落ちてないかい。

 

ちなみに上術の発言をした臨床心理士の女性は、

「パッと見て権力を持つ人を見抜く目が生きるスキルの高さ」

こう説明しました。医師はこれに対して、スキルとテクニックを勘違いしている指摘をします。両先生の見識差によれば、有能さの指標も変動します。先生方はコバンザメほど有能って認識やしれず、これから地上において日本の発展は望めるのでしょうか。

心理士の発言からしたら、ネトウヨのみなさんは生きるスキルを最大限に発揮する素晴らしい人になります。

 

これが、日本社会の現状です。

そして、ブログ主さんはサイコパスについてどのような定義を持っているやら、私には想像もつきません。