保育士の国家試験では、

『共感覚とは混同していること』が正解になるそう。

これまでの医学的にも同様の見解になるらしいので、常道みたいです。

 

文中に名前のあがっている爆笑問題の田中氏、

数年前に一般とは違う繊細な感覚を持ちそうって、

私がブログに書いたと思います。この記事にて証明されてる。

 

共感覚という単語自体に使い方が複数あるようで、

聞いた人こそ、混同するかも。

これまでは幼いあまりに混同していると思われてきた感覚は、

現在、大学でも研究対象になっていて、

関西学院大学からも複数の論文が出されているよう。

 

記事にも書いてありまして、

音や数字と色調の感覚が同時に感じられるなど、

大人からは不可解な現象を指します。

 

私には、その感覚がわかりますし、

同じではなくても似たような感覚ならあります。

なので、子供は無知だから混同しているとはなりませんよ。

ただ、不随意という反射の感覚につき、シックスセンス的な意味合いで受け止める人が多いのかも。大人であってもそうした説明をしたら、聞いた人の頭には入りにくそう。

 

私としては、このように推察します。

 

音の調べと色の調べと、

【シグナルがインターセクトしたところで、オーバーラップしている】

伝わる方には、これで要点だけは伝わりそうよ。これを漢字の日本語に変えるなら

電気信号の交流点が一致した時に像が重なる、こうかな?ますます何を言いたいやら伝わりそうになく。日本語は難しい。

数字にも、固有の波長を感じるのでしょう。音や数字は記憶とは違うので、経験則から推測しているのでもありません。

 

幼児って主観的にしか話せないので、

客観的に伝える術を知らないから、自分の立場や見方からしか話せないものです。それを、聞いた大人が

「そんなのおかしい」や「そんなことない」って決めつけて自分の経験にない感覚を否定したら、主観的。子供を睥睨して威圧したら勝って嬉しいのかしらん。

 

それなもので、

私には存在する感覚になり、存在しない感覚っぽいファントムセンスにはあたりません。

 

ところで、このような色調とのオーバーラップが思春期や成人して以降もみんなに起きているつもりな人は、

相手と自分の見え方による違いがわかってないでしょう。

それは決めつけにあたって、野蛮で失礼ではないかしら。

見え方が違うことで相手を否定したら睥睨する態度は同じになって、

自分の主張にこだわるところは同じだから。それが自分を疑わない、自閉的と認識される状態ではないのかしら。

自分が見えている視覚を考えるきっかけもなくなり、表面的な理解に留まりそうよ。

自分の回路を知らずに、どうやってメンテナンスするかしら。