読書してたら、汚い言葉も覚えますのよ( *´艸`)



中島梓(栗本薫)著者コミュニケーション不全症候群そのもの。

お子さんが通う幼稚園で遭遇したワンシーン。
栗本先生は、後ろからやってきた見知らぬ保護者に、置物同然の体で突き飛ばされたそうです。それを、存在が認識されていないと感じておられます。俗にいう、先生は生物として影の薄い人かしら。
ところが、子供同士が同じクラスになったら、突き飛ばされずご挨拶を受けられていて、とても不可解に思われた日常生活が書いてあります。

相手の保護者の視界には、先生は空気のようなもので、気をつけるまでもない存在だったのかしら。
動物的本能では、危険な存在ほど気を向ける傾向が顕著にあります。農家さんやら一次産業に従事する人々が天候を気にするのも、作物保護の意識が高いから。有害なものには対策が望まれ、無害なものに注意を払いません。

そうしたら、デジタル相は恐妻家にあたります(/・ω・`)外交はどうなるでしょうか。

ひとつ前の記事の最後あたりに書いたヤンキー男性の見解、
親が快楽を求めた先に子供が生まれる話について、
もし、子供から親へ
「あなたが快楽を望まなければ、その一時を我慢していたら、今のこうした現状もありません」
こういう説明がなされた場合、どう論破すれば望ましい対処になるかしら(´・ω・`)?怒らずに、話し合いで解決する方法が知りたい。このヤンキーは、時間軸に沿って話してますし。

そういうことを日常から考察しつつ生きてますか?希望ばかり見据えて、通ってきた軌跡をなおざりにしたら、前向きではあっても後は野となり山が残ります。後続は、まともな神経を持つほど、通ることを躊躇しないのかね。人が繊細になったのか、状況が荒廃したのか、甘んじて暮らす人ほど見極めないように目をそらすのではないかな。