昨今に起こるトラブルの数々

こちらの記事からも見てとれますし、
昨日はキング牧師にたとえて書きました。

話している言葉が含む意味合いを、ご自分で気にして考えながら使っているのかしら(´・ω・`)?
それとも、思いつきのまま喋るのかしら。
記事から読みとれるように、威勢のよい発言が多くて。

若い子たちからは、沈静化を促すよりもガソリンを投入しているように見えています。それを当事者は自覚しているやら、おもしろがっているやら私は知りません。

私としては、園児の頃から、働くご婦人に同じことを感じる機会が多く、
小学高学年の頃には、職場を離脱した若い先生方にもよく感じました。

このタイプの人々は、
人間が使うもっとも一般的で有効なツールにしている言語によるコミュニケーションが、最大の障壁になりまして。
伝わるはずの言葉が通らず、言葉を尽くして伝えなければ本意が伝わらないみたいで。今現在でもそれは変わらず、的外れな方向へ話を進められます。
スムーズな会話になりません。

よって、入力項目が違います
パソコン画面の表示と同じイメージにしかなりません。

おそらくは、
比喩表現が正しい解釈になっていない問題があるのではないかしら。
いわゆる、メタファや換喩と呼ばれる表現手段。

本来はこれを日本人は得意にしていて、そのために海外の人々は取り違えが起こりやすい指摘を生んでいました。海外の方がストレートな表現が多く、たくさんの言語を使い分けることにより正確な意味が文章に表れますし、捉える側の人も本意をタフに受け止めます。
それで一方的なやり取りは発生しません。

ところが、研究者が伝えるように日本などアジア系の人々はデリケートな精神構造を備えているので、言葉使いにもそれは現れていて、
空気を含むオブラートに包んだ表現手段を取っていました。

これが、日本の歴史でもあって、
欧米などラテン語から派生した言語を使う人ほど、ストレートな表現を取ります。
こうなれば、言語体系そのものが違うので、リンクしなくなることも自明の理。

そうすると日本で生まれ育ち、日本人の作る文脈を見聞きして教育を受けるほど、日本古来の言語体系を学ぶから、こちらを使えるはずになって。
それがデリケートな対応でもあります。
しかしながら、私が幼い頃に成人していた人の中に通じない大人がいるから、意味を間違って捉えていて。

間違って捉えて、納得したり怒ったり、まことに不可解なリアクションが起こります。感情に満ちた人は、それ以上の言葉を処理しないようです。

で、冒頭の疑問。
記事の話によれば、今回起きたトラブルの問題点を過小評価していて、
些細な個人的意見を世間が騒ぎたて世界の人々が着目したから炎上したことは日本全体の恥として、みんなでイメージを払拭する責任を話しています。
個人的意見が、いつの間にかみんなの責任にすり替えられて。みんなが努力するよう諭す指導が起きています。
話が、どんどん膨れあがっていて、大きくなっておりまして。何を見て、考えたらこうなるの。

みんな、巻き込まれてない(´・ω・`)?この人は、みんなを巻き込んで、責任を分担するよう要求してないかしら。
余計な責任を負担させられる人から、再度炎上が起こりそうよ。

この一連の知見がまったく理解に至りません。
どのような思考回路を通ったら、責任が分散するかしら。

知識を増やして見聞を減らしたら、マニュアルくんができあがります。
この回路も、その一環でしょうか。
話の整理が、話題の争点について整理が、心の整理が、ついてないのは誰になるかしら。
整理しないまま壇上から太陽へ向かう方向を指し示され、
文化や伝統を破壊するのは誰でしょうか。

ちゃんとしてるのやら