勤め先の桜ノ宮坂音楽大学から帰ったら、珍しくギイが家にいた。誰かがいてくれる家の中は暖房が効いていて暖かい。その誰かが愛する人ならば、からだだけじゃなく心の中まで温かくなる。
「おかえり、託生」
玄関のドアを開けたらそこにギイがいて、自然に頬が緩んでいく。
「ただいま、ギイ。いい匂いだね、夕飯はシチューかい?」
「託生の方が、いい匂いだ」
靴を脱ぐ間もなくギイの腕に捕らわれたぼくは、
「ま、待って、ギイ。中に入れてくれよ」
「あははは、このまま部屋まで担いでいきたいところだけど、火を止めてくるの忘れた。着替えてこいよ、すぐに食べられるから」
そう言って腕をほどいたギイから解放され、赤らんだ顔を隠すように階段を駆け上がった。
ギイと一緒に暮らし始めて、島岡さんが見ないフリをしてくれるのをいいことに、ニューヨーク育ちなギイの感激スタイルにもぼくは慣れたつもりだった。でも、こうして帰り道で冷えたからだがギイの温かさに包まれ、ギイが愛用しているコロンの香りをいっぱいに吸い込んでしまうと、心だけでなくからだまでが熱を持って、それがギイに伝わりそうで。きっと、ギイなら、気づいても知らないフリをして通すのだろうけれど。
ダイニングとつながったリビングまでシチューの匂いは漂い、他愛のない話をしながら食べる夕飯がぼくの身も心もほぐした頃、ギイは懐かしい名前を告げた。
「真行寺とラインしてたら、今日は何の日だって訊かれたよ」
「今日?11月28日って、何かあったかい?」
現役をリタイアしても、ギイにはこうして連絡をしてくる人が多い。祠堂から突然に消えたギイを、ずっと慕っている後輩もたくさんいる。そうして、フイと出掛けていくことの多いギイが、ぼくの帰宅を待っていた今日はたしかに特別な日になるんだけど、真行寺とは関係なさそうだ。
「やっぱり託生も知らないだろ。ずっと日本にいても、知らないだろ?」
「だから何の日だい?そんなに特別な日なのかい?」
「特別かどうかは知らないが、“いい庭の日”になったらしいぞ」
「いい庭って、どんな風に?」
「少なくとも、この家の庭じゃないよな」
ギイ、それはこの家の本来の持ち主に失礼だよ。
「マリ子さん家の庭や、京古野さんところの庭や、自然がたくさんある、ああいう庭じゃないのか」
それこそ、敷地面積が格段に違う。
「ギイ、ごめんね。ぼくの職場に近いだけで、何の変哲もない都内の住宅地に住まわせて。ギイなら、無人島に住むこともできて、都内にこだわる理由もなくて、日本じゃなくても好きなところに住めるのに」
「なにを言ってるんだ、託生。よしんば宇宙にある未開の惑星に住んだところで、そこに託生がいなきゃ俺はなんの魅力も感じないんだぞ。職場に近けりゃ託生の通勤時間が短くなるんだから、それだけ俺といる時間は長くなるだろう」
「それは、とっても嬉しいんだけど、」
言いながら、ギイの顔が見れないのは、ギイがあまりにも真剣な顔をしているからだ。
「ぼくはまだ、ギイみたいに、リタイアなんてできないから」
佐智さんの助手として仕事にはやりがいがある。何より、入学してから過ごした校内は馴染み深くて、事務の人たちとも上手くいっている今の職場を変えたいなんて思えない。バイオリンだけで食べていける人なんて僅かしかいないこの世界に、バイオリンが好きな気持ちひとつで飛び込んで、ギイと再会できたことは嬉しいけれど、バイオリンも慣れ親しんだ環境も、そしてギイも、どれを失ってもぼくはぼくじゃいられなくなる。
「だからな、託生のことも考えた上で、この家の庭にちょっと手を入れさせてもらえないかなって思ったんだ。バラが咲き乱れるパーゴラの下で、ふたり一緒に昼下がりのティータイム、なんていいだろ?」
ふわり、ふわりと笑うギイの笑顔が、蛍光灯の明かりを受けてきらめくように輝く。
「でもここ、お父さんの部下の人から借りてるんだよね?」
「管理を兼ねて、留守番代わりにな。親父と、そういう契約になっているらしい。」
「手を入れても構わないのかい?お父さんは、なんて言ってるんだい?」
展開の早いギイに、ギイのようにポンポンと次のアイデアが浮かばないぼくの胸は、ドキドキと脈打ってくる。ギイはもうお父さんと話して、早々に決めてしまったんだろうか。これは、その報告なんだろうか。
「親父に連絡して、また何か言われたら嫌だしな。島岡に持ち主を調べさせて、直接許可をもらえば」
「え?待って、ギイ。島岡さんに話たら、お父さんにも伝わるよね?」
「親父の耳に入る前に、完了させればいいんだろ」
戸惑うぼくの声が聞こえているのか、ギイはきれいなウィンクをする。イタズラを思いついた子供のように、楽しそうな微笑みを浮かべ、片目を閉じる。
「ギイ、もしかして、自分も庭作りに参加するつもりかい?」
「設計したら、予想通りに咲かせたいだろ」
設計も、ギイがするんだ。いったい、どれほどのことをする気なんだろう、ギイは。そうして、ぼくは、昼間に校内で聞いた話を思いだした。
「今日ね、すれ違った学生たちが話してたんだけど。今日は太平洋がどうとか、何かニュースになっていたのかい?」
日本の地上を離れたことなら、ギイの十八番だろうと思い、訊いてみる。バラの咲く庭は魅力的だけれど、これ以上聞くのはちょっと怖い。しかし、ギイは首を傾げ、思いだせないようだ。
「何かあったんなら、ネットにあがってないかな?」
ぼくの勧めに従ったのではないだろうけど、ギイはおもむろにポケットからケータイを取りだした。そして、画面を素早くタイピングする。
「太平洋、でいいんだよな?」
「そう聞こえたけど」
冷めかけたシチューは、それでもトロリと喉を滑り落ちていく。なめらかな断面になった野菜が、舌の上でほろりとくずれる。
「まさか、これか?」
ケータイの画面をぼくの方へ向けたギイは、難しい顔をしていた。そこに映っていたものは、

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「今日って、太平洋記念日なんだ!」
「太平洋に記念日なんて要らないんだよッ。祝ってやることないだろう、俺たちの愛を隔てたヤツなんだぞ、託生」
吐き捨てたギイは、食べ終えた食器を重ね、キッチンへと運びはじめた。ついでに庭の日の話も聞かなかったことにしよう、とぼくは決めた。

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情報の取り扱いには、注意しなきゃwww
11月26日から連動するネタ、予定はあっても書けない場合があり予告はできず。今日は間に合ってよかった、少し書き換えしましたけど。アメーバさんのスタンプは使えます(笑)夏の心理テストといい、タイムリーなスタンプをありがとうございます。