先日、感受性について、不可思議に感じていたことを話したところ、拍手喝采を浴びました。
昨今は、感受性が強いというフレーズを度々目や耳にします。

強弱で語られることも多いような感受性
以前は、厚みの尺度が用いられていたはずでして、
ものさしが変わったのでしょうか。というお話をしました。
三角定規と分度器くらい、ものさし自体が違う印象です。

神経が立っている、とか
神経が過敏になっている状態を
感受性に置き換えて使われているのやら?

もし強弱を値にするならば、
アンテナレベルになるはずです。
基本的なアンテナは、あらゆる周波数をキャッチしますし、感度の高低で表示されるものでして。度数なんです。
特定の周波数しかキャッチ出来ないアンテナは、汎用性が低いでしょう。
パラボラが採用されるアンテナもありますので、敢えてキャッチできるように受信面を大きく作られていることは見ての通り。

感受性の言葉そのものの意味合いが違う印象もあり、伴ってものさしが変更になるのかもしれず。言葉は魔物のように、生き続けるって、こういうことかしら。
人体にかかわることですから、世界共通概念、グローバルに使用されている単語でもあり、ものさしが変わるとこれからどうなるのでしょうか。

そうして、早くも、一年の半分近くが過ぎようとしています。

今年も年頭から世間を驚かせるようなニュースがいくつも起こりました。
謝罪会見と称し、たくさんの記者に囲まれた男性も複数おりました。その中で、見た光景。

男の涙、涙、涙・・・数々の涙がありました。

私が子供の頃だけではなく、育児中には
男が泣くな!
男が泣いてもいい時は、我が子が産まれた時と親の死に目の時だけ!それ以外は、堪えろ。
こう話す大人男性がたくさんいましたので、画面にそうしたシーンが映れば、教わってきたこととの矛盾を僅かでも感じてしまいます。
とはいえ、レコード大賞やアカデミー賞を受賞された男性が泣くことを矛盾とは感じませんよ、業界のトップを認められての受賞なので、そこはかとない喜びや感謝がおありでしょうから。

あの教えは、なんだったのでしょうか(´・ω・`)?

数年前に独身アラサー議員の号泣会見が放送された際には、
かまびくしく批判的な世論があったものです。

ところが、今年、そうした声はほとんど聞きません。
単に、みなさんの興味がないだけやもしれませんけれど
そうではなく、見慣れた光景になり無感動になった恐れもあります。
人は慣れる生き物なので。

壮年の男性方の涙は、感極まり流れたものとは思われます。
人間、年を食うと涙腺が弛くなるとは申しますが、
あの涙たちは、
どんな感情が極まり流れた涙でしょう。
記者のようなインタビューをする立場にはないので、訊くチャンスがなくその真意を知ることもできません。