『託生ーーー』
呼びかけると、必ず笑顔で振り返った。
その笑顔が見たくて、俺は祠堂に入学した。



あの日、ひとことも告げずにいなくなった俺のことを、託生は怒っているだろうか。あの入寮日の時のように。

託生がエリーを庇って意識を失い、救急車を呼んだのは俺だ。当然、付き添うつもりだった。一緒に現場にいたし、状況は誰よりも良くわかる。なにより、託生のことが心配で不安だった。

だが、救急車が来る前に、ひと足早く島岡がやって来た。すっかりその存在を失念していたが、校内でエリーを探していた島岡が来ることは当たり前なんだ。しかし、あの時の俺にはそんな余裕がなかった。目を開かない応えない託生のことしか考えられなかった。

「義一さん、お父様からの伝言を預かって参りました。」

託生を抱き抱える俺の頭上から落ちてきた、抑えた声。傍らで一緒に託生を見つめていたエリーが、驚いて顔を上げた。そして、島岡の胸に縋り涙を流しなが

「託生さんは、私の代わりにこうなったのよ。私がパパのところへ帰るから、ギイは託生さんと一緒に行かせてあげて。」

そんなエリーを宥めるように島岡は穏やかに、だが毅然と、親父の決定は絶対だと何度も言い聞かせていた。それは、託生しか見ていない俺に話すように、何度も何度も。

一度は親父に反旗を翻した俺だ、もう残された選択はなかった。

「島岡、せめて救急隊が来るまでくらい、待てるだろう?」

「わかりました。では、お部屋の方はこちらで片付けさせていただきますよ。」

託生を置いて行けるはずのない俺の後ろで、島岡は手際良く指示を出し始めた。

バイオリンーーーーー。

俺のクロゼットに預かったままだったな。ニューヨークのペントハウスに戻ってから、バイオリンが一緒だったと知ったんだ。託生にしか弾けないバイオリン、ないと困るよな。でも、再び祠堂へ運ぶチャンスは、俺にはなかった。

親父との約束を反故にしてでも、託生と一緒に居たかったのは俺だ。祠堂の寮に、誰にも干渉されることのない場所で、少しでも長く託生とにいたかった。穏やかな託生の笑顔を毎日見ていたかった。ギイー呼ぶ声を聞いていたかった。そして、託生の側から離れることが不安だった。託生だけなんだ、俺をこんなに不安にさせるのは。

やっと、俺を見つめ、ギイと呼んでくれるようになったんだ。

手放せるはずがない。

そのためなら、勘当されてもしかたがないと思えるほど、俺には託生が必要だった。

会社か託生か、考えるまでもないが、託生を託生のままで居させてやるには、会社が必要だ。

止めどないループ。

だが、俺はニューヨークへ帰国した。親父との約束を果たすために。

切られた通信回線。託生のすべてを、誰よりも早く知りたくて、渡した携帯電話。託生には俺が必要なんだと感じたかった。それも、今はもう、繋がらない。

あと2年、いや、託生のために1年でここを出る。成果が欲しいならくれてやる。けれど、託生だけは誰にも渡さない。

一度は10年以上待ったんだ。託生に会うことを夢見て。だから1年くらい、俺にはどうってことないさ。託生さえ俺を信じてくれたなら。あの頃とはもう違う、今の託生は俺を、崎義一を知っている。

なあ、託生。俺からの連絡、待ってるよな。何も言わなくても、俺を信じてくれるか? 必ず迎えに行く。どんな手段を使ってでも、もう一度託生のところへ。

だから、それまで俺を待っていてくれ。俺は、託生を信じているから。



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原作にあるギイのセリフと歌詞が重なります。

ギイは、すぐに揚げ足を取るから、託生くんやアラタさん、果ては章三にまで嫌がられます。機敏はいいことですが、ギイに限ればやり過ぎ。