『ボルダリングの壁の凸凹が全部おっぱいやちんこの形だったら大変楽しいのではないか。』

て話をアニソンディスコのクルーとしてました。

「ちんこにもいろんな形があるぞ。」

「今みんなが想像しているのは屹立としたちんこだ。それは確かに握りやすい、掴みやすいだろうが
ダビデ像みたいなつるんとしたちんこだとなかなか掴まりにくいんじゃないか。」

「ダビデ像タイプなら足を引っ掛けてもそのままつるんとすべりそうだ。」

(つるんとしてしまいそうなダビデ像のちんこ)

「おっぱいもそうだ。」

「丸みを帯びすぎた大きなものは、なかなか片手では掴まえられないだろう。」

「乳首も陥没タイプには指がかけられなくないか」

「まてよ、、、そのおっぱいは片方だけなのか?
それとも両方あるのか?」

「両方あるパターンなら乳がちょいと離れ気味だとどうなってしまう?谷間がはっきりしてれば手もかけやすいが。」

「そもそもちんこもおっぱいも、誰かが型をとってくれるのか?想像で作られてしまうのか?」

「まてまて。ちんこが女性のボルダリング選手に間違ってツルッと入ってしまうことはないか?」

などと、熱く議論してしまった。

読者の皆さまには大変申し訳ない。と思いつつ、ここから終着点にきちんと降りるので頑張って最後まで読んでください。

無理なら今すぐ相方BANBANBAN山本さんのブログ をお読みください。ついでに私のブログの批難の声もこちらに書き込んでください。


ここで問題なのは

「私はダビデ像にはまったく興味がないが
ダビデ像タイプのちんこがあるボルダリングには大変興味がある。」

ということですね。面白いから。

僕らは芸人。
自分でモノを作って発表したりしてます。多くは「ネタ」と呼ばれてます。娯楽です。庶民の娯楽。娯楽を作ってます。


ダビデ像を作ったミケランジェロさんは「アーティスト(芸術家)」と呼ばれてます。もちろんモノを作って発表してらっしゃいました。

同じ「モノの作り手」でも
芸人はアーティストと呼ばれることはまずないです。

ところが木梨憲武さんや片岡鶴太郎さんのように絵を描いたりするとそれは途端に「ネタ」ではなく「アート」と呼ばれるようになります。

芸人さんも、芸術家さんにはなれます。

しかしそれらはあまり大衆には届いてないようです。

届かなくてもいいんです。

ここで大事なのは
「娯楽」は大衆に理解されねばならないが
「芸術」は大衆に理解される必要はない
てことです。

芸術は、大衆の考えをブッチ切りに引き離して
違う次元に行ってしまってもいいんです。
それが度が過ぎれば過ぎるほど良いです。

ただ、娯楽は大衆に寄り添ってなければならない。
いつだって娯楽は大衆の味方でないといけない。愛されないといけない。
理解してもらわないと、次が作れない。


そこの芸術と娯楽のギリギリのラインをつくのが!
理解されるようでされないというギリギリのラインをつくのがいい娯楽なんじゃないかと思います!

ダビデ像を作った芸術家 ミケランジェロの人となりはまったく知りませんが(今 wikiでようやく見たよ!)

もし、ダビデ像をウケ狙いで作っていたならそれは娯楽かもしれません!

当時の人たちが除幕式で「ちんこ出てるやん!ウケる!あかんやろ!草生えるわ!」と言ってたかもしんないですし。実際どうだったんでしょう。


僕が愛してやまないアメリカの超娯楽テレビドラマ「ウォーキングデッド」でこんなシーンがありました。

ウォーキングデッドの説明はめんどくさいので省きます。

簡単に言うとゾンビが出てきて世界は大変!生き残ったみんなでゾンビに負けへんよう力あわせてなんとかせなあかんで!いや、やばいやつおるやん!こっち殺そうとしてきてる人間おるやん!それはそれは戦わなあかんで!

て話しです。

とあるコミュニティを襲おうとした連中と
そのとあるコミュニティが取引をするシーンがありました。

襲おうとした連中は当初「食糧と水と物資をよこせ」と言いますが

とあるコミュニティは「映画を観せてあげる」
と言います。

途端に襲おうとした連中は「、、、!?映画!?映画があるのか!?」

とコロッと取引を受理したんです!

それより前のシリーズでは
ゴミ山に住む悪い女がずーっとゴミを利用してアートを作ってるんですがそれには誰も見向きしないんですね。
むしろ「なにやっとんねん」という顔をみんな向けてしまってます。


その対比を見て、
大衆に寄り添えるのはどんなときも娯楽なんだ、
と私はそんなメッセージをウォーキングデッドから受け取りました。
どんなときも、人は娯楽には敵わないのかもしれません。


芸術を否定する、というわけではないです。
芸術を大衆にチューニングしたものが娯楽です。


僕はこれから先も
「誰でも簡単、誰でも踊れる」モノを作り、
「フリーザでもじいちゃんばあちゃんに笑ってもらえる」モノを作り、
「誰でも笑える鮫島一六三のオリジナル」を目指したいな、とそう思っております。

芸術は孤独になってしまうので作らないと思います。
 

辛いニュースが続きます。


車で車を煽ったり
好きな男を殺したり
弱い者を殺したり
自殺したり
それをスマホで撮って拡散したり。

待って。ちょっと待って。

世の中には娯楽があるよ。

いつだってあなたを助けてくれる娯楽があるよ。

辛いことを忘れさせるために娯楽はあるんだ。

少しでも変な気持ちを起こしそうになったら

娯楽に触れてみてください。

もう一日だけでも頑張れる力が湧くかもしれない。

もう一日だけ頑張れたら、また娯楽に触れてみてください。

そしていつかあなたも、娯楽にチャレンジしてみてください。

聞いたことありませんか?

イジメられてたけど、笑いをとるようになったらイジメがなくなった、ていう話しを。

好きな演歌歌手のコンサート観に言ったら寿命が伸びた、ていうおばあさんの話しを。

娯楽があなたを救いますから。

辛い選択肢を選ぶのは辞めてください。

この世には娯楽があります。

笑って過ごせる毎日を、一緒に作りませんか?

ボルダリングのちんこで、一緒に笑える日を作りましょう。