バングラデシュ関連の記事2
<私が感じた事>
バングラデシュの人々は何より
笑顔が素敵で、友好的(バスから目が合うと手を振ってくれる)
なのが特長である。
心が広く、何事にも嫌な顔をする人は殆どいない。
彼らは人間なのだ。
それは、現代社会に生きる現代人とは異なる人間で
人間の本質を忘れなかった
(潜在意識的に残っていると言う意味で)
私たちの地球に来たばかりの、
文明が栄えてきたばかりの
とてもピュアな人間なのだ。
彼らはなによりも心の絆を大切にする。
そう、どんな愚者と思えるような人でも
愚者と思わず、潜在する心でつながる事が出来るのだ。
現代の人々は完全に『人間としての自分』を
忘れてしまっている。それは誰のせいでもなく、
現代社会という人々が利便性を追究して作り上げた世界が
発展や進化と同時に風化や退化をもたらしてしまっているだけ、
いわば自然現象なのだ。
まず、1つの問題提起として
『真の豊かさとはなにか』について考えていきたい。
豊かさ=幸福という公式(仮)に当てはめると、
ショーペンハウアー著「幸福について —人生論—」
(TITLE: APHORISMEN ZUR
LEBENSWEISHEIT AUTHOR: Arthur
Schopenhauer)
を参考に出来る。一部を抜き出してみよう
(*自己満足の為、略が下手。)
第二章 人のあり方について
「(略)ごく大雑把に考えてみただけでも、人間の幸福に対する二大敵手が苦痛と退屈であることが知られるであろう。 (中略)つまり外面的には困苦欠乏が苦痛を生じ、これに反して安全と余裕とが退屈を生ずる。したがって下級階層の人々は困苦すなわち苦痛と不断に闘い、これに反して富貴の社会は退屈を敵として不断の、しばしば絶望的な闘いを闘っている。 (中略)それは数知れぬ人々の顔にありありと刻みだされた内面の空虚である。外界のどんな出来事、どんなに小さな出来事にも絶えず活発な関心を寄せるということに問わず語りに露れるあの内面の空虚である。これこそ退屈の根源なのだ。 (中略)主として内面の空虚から生ずるのが、ありとあらゆる種類の社交や娯楽や遊興や奢侈を求める心である。こうした貧困を最も安全に防ぐ道は、内面の富、精神の富である。(略)」
長くなったが、私自身この考えに近いものを感じる。
バングラデシュの人々はこの内面の富、
精神の富が備わっているのではないかと思う。
利便性の追究という文明を発展国ほど与えられていない彼らは
まだ内面の空虚の味を知らないのではないか。
日本は内面の富、精神の富を現代化とともに失った。
しかし、それを再生できないという保証はない。
開けている人々は他にもいるはず。
開けている者が、閉じている者を開いてあげるのが
おそらく『今』という時代なのだろう。
これからおそらく、世界は変わっていく。
物質的な世界から、精神的な世界へと次元が昇っていくのだ。
新しい時代の始まりである。
多くの人や動物、命ある者が生まれてきたがった、
しかし生まれる事の出来なかった時代に我々は存在している。
このことを誇りにおもい、我々は時代を生きるべきである。
日本という国は特別な国でもある。
小さい国で今はグラグラだけど、日本が変わったとき、
世界に及ぼす影響は計り知れないものである。
バングラデシュはインフラや教育、金融など
発展するにあたって改善すべき点が多くある。
しかし同時に、彼らには、
これまでの先進国が歩んできた方法ではない、
もっと緻密にカスタマイズされた技術支援や、開発が必要である。
そうでないと、また人間は人間を失ってしまうことになる
閉じた者が開けている者を閉じてしまうのはとても
安易な事だから。