幸福 水木しげる | VIVA HATE(憎しみ万歳)

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幸福

水木しげる


どうしたわけか、ぼくは生まれつき寝るのが大好きだった。

小学校の頃でも、ねむりこけていつもおくれていた。(それを内心幸福に思っていた)

〈寝る〉というのは、健康にはいいことなのだが、どういうわけか古来日本では眠りすぎるのは、バカの範囲に入れられるらしく、親父はいつもぼくに

「お前よりバカな子が学校にいるか」というバカな質問をしていた。


ぼくはいつも「なんというバカな親父だろう」と思っていた。


学校におくれる子供はバカだと思っていたらしい。十年後、夜間中学即ち今の定時制高校というやつ、あれに入ったら、始まるのが夕方だったから、おくれたことがなかった。

要するに、眠りこけてなんとなく生きたふりしているのが好きだった。

若き日のぼくはそれを人生の方針としていた。

長じて軍隊に入り、その早起きにおどろかされた。「人生、特に成功者には早起きがつきものだ」と中隊長はいう。「生きてる限り、早起きは永遠だ」と班の軍曹はいうが、その彼方に〈幸福〉がまっていることを確信しているようだった。(そんなバカなことはない)

そして一日中あわただしくすごすのだ。「こんな生活はかなわんなあ」と、となりの二等兵の坊主(京都出身)にいうと、

「そんなら、お前坊主になれ」という。「坊主ほどたのしいものはない」という。

どうしてかときくと、急にひそひそ声になって「女にもてるんよ、町にお経をあげにゆくと奥の間に入るやろ、仏壇はみな奥の間やからネ。お経をあげ終ると奥さんとか娘さんと二人きりや、男は軍隊行っておらへんからナ。うしししし」とすけべそうに笑い「お前坊主になれ、天国やデ」という。

「それはいいナ、どすればなれるんだ」というと、京都の仏教大学に二年入ればいいんだという。

ぼくは軍隊終ったら、坊主になろうと思って、日曜日の外出のとき、岩波文庫の「佛説四十二章経」なるものを買って読んだ。その中には、眠りを「睡魔」と称し、いかにも眠らないのが美徳みたいに書いてあるので、極めて不快になった。次いで、宗教関係はラクな生活ができると思い、こんどは新約聖書をひらいてみた。「色情を抱きて女をみる者は、その目をえぐり捨てよ」とあり、これもおどろいてやめた。いくら目があってもたりないと思った。

次いで「論語」、「男女七歳にして席を同じうせず」という。

不快な文字から始まって「四十にして惑わず」といった鼻持ちならぬ自信満々。

これもぼくと意見を異にしていた。

いずれも生きるのをしんどくする連中だと思った。

それ以後、人生に対する〈定見〉というものはなく、「七十にして迷う」といったぐあいだから、若い者に忠告することができない。要するにどうすれば幸福な一生をおくれるのか分からないのだ。

ただ分かっているのは、やたらに寝るということだけ、だった。

子育てでいつも家内ともめるのは、この眠りについてだけだった。

家内は「早起きは三文のトク」といった、あやまった金言を親の代から信じていたからだ。

「ラクして生きる」人間を注目しながら今まで観察してきたが、そういう〈幸福者〉がわりあい少ないのにおどろく。

わずかに奇人変人の類いが案外いい線をいっている。即ち〈幸福〉そうなのだ。フツウの人間は、あまり幸福そうでない。

即ち、猫とか、つげ義春とか、ニューギニアの森の人たち、といった、高度ななまけ生活をいつもぼくは夢みていた。

とにかく、ぼくの一生は意に反して、がむしゃらに働く一生になってしまったから、よけいにあこがれるのかもしれない。それにしても〈人生〉が自分の思うようにならないのは、目に見えない方々・・・・・・即ち、霊的なものの介入があるからこそだと思う。ゲーテも晩年にいっている。「デエモン(魔神)に導かれて・・・・・・云々」

即ち、運命とか幸福に見えない方々が偶然という形とか、気づかないさまざまな形で、介入してくるからだ。要するに幸福の問題には霊的なものとの相談が必要なのだろう。



HAYACHI