あたらしく投入したアロマ水、よい。浄水器もよい。
いろんな癒しツールが溢れているけど、水と食、精神活動、日々が大事だね。
養命酒程度に飲んでいるアロマ水、疲れた精神を癒してくれる。
体調がよくなってくると、もともとの性格が戻ってくるそうだ。
いやはや、ひさびさに宝刀正宗を抜いていた。宝刀正宗とは見ていた人が褒めてくれた言葉ですよ。
罪を憎んで人を憎まず!?
いえいえ、上段に構えるような人間ではないし、人間だからそういうことはあるのは普通だね。
意見を戦わせたり、理解をしようとしてもこれはだめだと感じたら(あちらも同感でしょう)
さっさと袂を分かつのはあり。すると、別の出会いがやってくる。
結果からみると、なんだこのご縁のためにとわたしは戦ったのか、とも思う。
なにがベターかを感覚が先に察知していて、今自分でもよくわからない動きをしているとこって
あるように思う。少なくともわたしはそういうことが多い。
やり合う時の最低限のマナー
・あなたは~とお考えのようですが、わたしは~と感じています。
(お前、ふざけんなよ、あったまくるなー、詐欺だろそれは)
などとダイレクトに否定をしたり、人格を攻撃せず
「私はこう感じる」をはっきりと伝えれば、相手ではなくわたしサイドの問題になる。
その上で違和や不満を伝えられる。
日本人は慣れてないから図らずも波動法となる。
でもさ、ここで気を付けた方がよいですか?
ここですっころぶのを避けるより、すっころんで、数日たってアイスバーンになった
雪の日の道路をあるいて隣の人も巻き込んで、一緒にすっころんでいい気がする。
それでごめんごめんと笑えばいいし、参ったよって話せば周りは笑う。
でもね、ほんとはもっと滑らかなコミュニケーションをしたい。叶うのなら。
だけど過敏ぎみだし、普段は内向的だから、外へ出ると力が入って
極と極を行き来していまう。
それは申し訳ないし、時折自分に嘘をついているような心地にもなる。
それでもさ、いくつになっても成長はつづくのよ。
ここが終着地点ではないから、傷にするんじゃなく、それを許そう。
凸凹な自分自身や自分の感覚を愛してていくうちに、人の凸凹を怒らなくなるという。
わたしはまだ怒らなくなるまでに至っていないけど、いつかあなた面白いねって笑っちゃえるように
自分の凸凹と付き合って、ドタバタ劇をしたいと思う。