わたしがそのカラスを見つけたのは、午後の犬の散歩の時でした。
道路にうずくまるカラス。
どうしたの?
ここにいたら危ないよ。
そう言っても、その子は動こうとしません。
なにかあったの?
その子に話しかけていたら、そばの家からおじいさんが出てきました。
朝、カラスが車に轢かれてたんだよ。
玄関が血で汚れちゃって、洗ってるんだ。
警察にも電話したから、放っておきな。
おじいさんはそう言いました。
でも、その子に出血している様子はありません。
きけば轢かれていたカラスは別にいて、もう死んで警察が死体を片付けたようでした。
この子も車にぶつかったのかもしれません。
とにかく、ここにいては車に轢かれるとか、ネコや犬に襲われるとか、心ない人からひどいことをされるかもしれない。
ここから移動させなきゃ。
そう思って少し追い立てたら、その子は低空ながらも飛んで、近くの空き地の塀に止まりました。
飛べるから、羽がおかしいわけではなさそう。
ショック状態なのかな。
ここなら車に轢かれることもないし、安心です。
持っていた犬用の折り畳みのコップに水を入れてその子の隣に置くと、その子はすぐ、美味しそうに水を飲みました。
ここなら安心だよ。
休んでね。
そう伝えて、わたしはその場を去りました。
夕方、気になって見に行くと、その子はまだそこに居ました。
暗かったので懐中電灯を持っていったのですが、その光にびっくりして、
ブー!!!!!
と言って飛んで行きました。
ああ、飛ぶ力が戻ってきたんだ。
よかった。
安心したわたしは、置いておいた折り畳みのコップを回収して、家に帰りました。
翌日、あの子がいた塀や道路にはもうあの子の姿はなく、一安心。
ただ、少し気になって、あの子が夕方飛んでいった方向の道を歩いてみたんです。
残念ながらあの子はいました。
道路脇の植え込みの地面にうずくまって。
ああ、まだダメなんだ。。。。
近づくと逃げるそぶりをするので、まだ元気は残っているようです。
となりにお水を置いてあげると、また美味しそうに飲みました。
これ以上してあげられることはわたしにはなく、
とにかく早く回復するといいな、ネコや犬や人にひどいことををされないといいな、と祈るだけでした。
そして次の日。
朝、告別式に参列するため家を出たついでにその植え込みに行くと、あの子は相変わらずうずくまっていました。
よかった。
ひどい目にあっていなかった。
あの子に、
がんばるんだよ。
と声をかけて、告別式に向かいました。
告別式は、後輩の奥さんのものでした。
まだ40代。
かわいいさかりの小学生のお子さんを残して、亡くなられました。脳梗塞だったそうで、誰もが予期しない死でした。
どれほど無念だったろうと、自分のことのように悲しい気持ちになりました。
帰りがけ、またあの子の様子をみに行きました。
あの子はいました。
でももう、動いていませんでした。
穏やかに晴れた日の、昼過ぎのことでした。
命って、
そんなに簡単になくなるようなものではないよな、と思うこともありますが、
まだまだ若いと思っても突然亡くなることもあります。
後輩の奥さんも
あっという間に逝ってしまったひょうちゃんも
そして静かに息絶えたあのカラスも
本人も周りもみんな、まさかそんなに急にお別れが来るなんて思っていませんでしたし、
わたしにできたことなんてほとんどありませんでした。
でも、あの美味しそうに水を飲むカラスの姿が心に焼き付いています。
たまたまだけれど、あの子を見つけてお水をあげられてよかった。
あの水が、あの子の少しの癒しになったのかな、、、、?
数日後、あの子のいた場所はきれいになっていました。
あの子なんて存在すらしていなかったように。
でもね、あの子は確かに生きていた。
最期の最期まで、気高く生きていた。
大きくて、虹色の光沢がある、きれいな子だった。
わたしはあなたのことを忘れないよ。
痛かったね。
辛かったね。
よくがんばったね。
この次生まれ変わったら、車には気をつけるんだよ。
わたしも毎日を悔いなく、過ごさないとね。
だって、明日お別れがくるかもしれないのだから。