昔、ある人が、

死についてこう話していました↓


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寝ているとき、

私たちは死んでいるのと同じ。

布団の中で目を閉じて、

だんだん意識が遠のいていき、

音も聞こえなくなっていくのは、

死ぬプロセスに似ている、


そして朝、

布団の中で目が覚めて

意識がだんだんとはっきりしてきて、

音が聞こえるようになってくるプロセスは、

死の世界からこの世に戻ってくるのと似ている

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これを聞いたときの私は、


たしかにーーーっ!!!


と、ものすごく納得したのでした。


と同時に、


じゃあ、死ぬのはそんなに怖くないな、


とも。


子どもの頃から寝るのが大好きな

ロングスリーパーで、


あーこのまま一生寝て暮らせないかなぁ、


あーこのまま目が覚めなければ楽なのに、


と夢想していた私は、


死にたいとは思わずとも、

積極的に生きたい気持ちが

とても希薄だったので、


冒頭の話を聞いたとき、


あー、だから私は

寝るのが好きなんだなぁ、

死んでいたいんだなぁ、


なんて思ったのでした。


それと関係するのかしないのか、


私は、

全身麻酔、鎮静剤が大好きである。


手術で全身麻酔を受けたときは

それはもう感激したものでした。


あんなにスーッと意識がなくなるなんて!


身体のあちこちに管を通されたり、

切り刻まれても、

まったく気付かないなんて!


素敵すぎる!


と。


胃や大腸の内視鏡検査時の

鎮静剤も然り。


点滴を落とされる前から、

嬉しくてワクワクが止まりません。

(変態か!)


だから、

海外の一部の国では合法の

安楽死についても、


きっとあんな風に、

スーッと気持ちよく逝けるのだろうな、


だったらそんなに悪くないな、


と思ったりする。


死って何なんでしょ。

(藪から棒にメメント・モリ!)


案外、本人(だけ)にとっては

大したことではないのかもしれない。


本人のまわりの

「生き残っている人」にとって

インパクトが大きいだけ。


まわりに及ぼすインパクトの大きさを

想像できちゃうから、


本人も怖気付いてしまうだけで、


もし、

まわり(つながり)がなかったり、

動物のように想像力がなかったら、


死なんて案外、

一人の人間にとっては

どってことないことなのかも…


なんて思ってしまいました。