ビッグブック
私たち不可知論者はから
宇宙の全体を包んでいる霊魂があることを認めるとすぐ、新しい力が湧き、自分たちが向かおうとしている方角が見えてきた。私たちにとっての魂の世界というのは、どこまでも広がり、何もかもを包み込むものだ。真面目に求める人間を決してのけものにしない。誰に向かっても魂の世界は大きく開かれているのだと私たちは信じている。
私は今自分より大きな力があることを信じる、あるいは信じてみようという気があると答えた人の成長の旅は始まっていると断言できる。
私たちは信仰の事について受け入れられないばかりか、頑固で、過敏症で、理由のない偏見を持っているという不利な条件を自分が背負っていることに気づいた。力に満ちて、自分たちを導く、全てを作り上げた知性的存在があるという論理的な推測にあうと、すぐさまひねくれた性質が現れ、そんなことはないと自分に言い聞かせようとする。
信仰を持ってスピリチュアルに生きている人たちが、安定と幸福と人の手助けができるという、私たちが求めるべき性格を持っていることに気づいても、その人たちのスピリチュアルな行いや信仰に対して、嘲笑うような態度を取ってきた。
生き方、考え方が革命が起こったように変わったという人たちがいる。いま神がここにいるという思いこそが、人生で一番大切なこと、人は信仰を持つべきだという。
要らなくなった理論や道徳の代わりに、使いやすい有効なものを無理なく取り入れることができるのではないか
私たちはいつも人間関係の問題を抱えていた。感情を思うようにできなかった。惨めさと折り込みの餌食になっていた。生計を立てられなくなっていた。自分は役に立たない人間だと信じていた。恐れと不安でいっぱいだった。不幸だった。この苦しみを根本的に解決することこそが、大切。
私たちは、宇宙の持つスピリチュアルな力に素直に頼ることで、その人たちの問題が解決していくのを目にした。だから神の力を疑うわけにはいかなくなった。
私たちはそうとは気づかずに、自分の理性の力を信じてきたのではないか。私たちは情けないほど、理性の神に忠実だった。何かの形の信仰はいつも私たちにはあった。
私たちに信仰や愛を尊ぶ能力がないのではなく、様々な形を取っていたけれど、私たちも間違いなく信仰の力によって生きてきたのだ。
私たちは人生があることを信じた。そう、信じたのだ。
私たちはこの世の問題からスピリチュアルに開放されて飛び立っていく人たちの飛行を何度も見てきた。
一人ひとりのおおもとの深いところに神の意図がある。
自分を超えた偉大な力への信仰と、その神によって、人生に現れる奇跡は、人類が始まってからずっとあったのだ。
神への信仰は、私たちが友人に対して持つ感情と同じように、自分たちの中に初めから組み込まれていたことに、私たちはとうとう気づいた。恐れずに探し求めなくてはならないこともあったが、神はいつもそこにいた。自分がここにいるのと同じように。その偉大な存在を私たちは自分の一番深いところに見つけた。結局のところ神を見つけられるのはそこだけだ。私たちにとってはそうだった。
『神は存在しないというお前は一体何者なのだ。?』
神がいまここにいるという確信に圧倒された彼は、無限の力と愛の中に立ち尽くしていた。彼は端から足を踏み出して、対岸に渡ったのだ。
感想
小さな頃は神様がいて毎日愛を届けてくれた♪
やさしさに包まれたなら 荒井由美
小さな時の神というのは、毎日無条件に愛をくれる存在というのは、親。
私はその感覚を感じることができなかった。
愛着生涯。
無条件の愛、信頼、安心感。その感覚を知らない。
与えて欲しくても何度も拒否されて、ついに諦めた。
私は、愛なんて、そんな感覚なんて、望んではいけないんだ。
信じることを諦めた。
世界は、暗く怖いところ、私は怖さに震え、感情を凍りつかせて、身を隠した。
6歳の時から、母親がエホバの証人になった。
ただでさえ、現実や子供を見ていなかった母親は、さらに現実から遠のいていく。
狂気の中に。
最近、APOSTASYというイギリスBBCが製作したドラマを見た。
エホバの証人である母親と二人の娘のお話。
上の娘は、エホバの証人以外の人の子供を妊娠したということで、排斥になり家を追い出される。会うことも禁止される。出産前で、たくさんのサポートが必要な時期に。無慈悲。
下の娘は、貧血が酷くて、輸血を受けないと命が危ない。それでも教義に背くことは許されない。そして亡くなった。
それでもエホバへの信仰を続ける母が、一人街角で伝道活動をするシーンで終わる
条件付きの愛。たくさんのルールに従い忠誠を示すものだけが救われる。
そうでないものは裁く、滅びる。
神とはそういうものだと信じている人たちと私は育ってきた。
私は、エホバのことは最初から信じていなかった。
一度も信じたことはない。
ハルマゲドンで皆が滅びて、自分たちは永遠に生きる。そんなことを希望にする人たちの、気が知れなかった。
私の生活、人生にそんなものはいらない。
でもその他のJW2世と同じく、私も集会、伝道、予習、食事前の毎日のお祈りを読むことなどを強要されてきた。もちろん、従わなければ、神の鞭と称して体罰を受ける。子供は家畜のように従順に親に使えることが務め。
そう、子供ではない、家畜だったのだ。
恐怖と辱めに満ちた家の中、毎日が戦いだった。でもそこしかいる場所がなかった。
一人で外で生きていくことは、死を意味する。
生きるか死ぬかの毎日だったのだ。
私は神など信じない。固く心に決めた。
だから、12ステップを始めた時の、神という言葉に、アレルギー的に反応する。
ハイヤーパワーという言い方に変えたが、まだ難しい。
エネルギーがあることは信じる。宇宙の法則や力は物理的に証明されている。
でもそれをハイヤーパワーとすることは、親近感がなくて、響かない。
ステップ2、信じるようになった。
一人ひとりのハイヤーパワー。
私も欲しい、、、、、
それでビックブックの私たち不可知論者たちを読んでみた。
スピリチュアリティ。あって当たり前のもの。
そう思うと、、、
なんだか受け入れられる気がしてきた。
