デザイナーをやっといて

アレですが、

 

 

現代に生きる人々は

目に見えるもの、

先が見えるものを

信じすぎてるんじゃないか

思ったりしますオエー

 

 

視覚は入り口目でしかなくて、

それをきっかけに

対象物に入り込むことが

大事なんだと思ったりします。

 

 

でも、

目で見たものが

全てだと思いすぎている。

 

 

 

 

 

 

 

デザインの世界でも、

 

昔は、

提案から完成までに

ある程度変化の余地があって、

 

途中に生まれる「偶然」を

採用する

大らかさがありました。

 

今は、

最初から

完成度95%の提案を求められます。

 

 

 

 

 

 

カメラマンさんが撮影したり、

イラストレーターさんが絵を描いたり、

 

途中で何人ものクリエイターを挟むのに、

 

その人の感性は採用されず、

 

最初に提案したデザインを

寸分違わぬように

再現していくという作業をするのみです。

 

「そういう時代だから」

 

と言われればそれまでですが、

 

 

正解って

人が関わる分だけ

流動的に変わるものだと思うのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

個性によって生じる

「寄り道」を許してくれない。

 

最初の地図通りに

歩くことしか許されていない。

 

寄り道した分だけ

巻き込むものが増えて

想像を超えたものが

できるんだよ。

 

私はそう思っています。

 


 

 

 

 

偶然をなめるなよ。


こんなこと言ったら老害になるのかしら。


もちろん言わないけどさ。

 

 

 

 






 

東北の動画コンテンツサービスのポスターをつくりました。

クライアントとイラストレーターさんと

試行錯誤ができたお仕事。

 

完成形が見えないまま進んで、

でも、だからこそ、

対話を重ねて、お互いを信じて、

進められたお仕事でした。

 

「チームでいい仕事ができた!」と

思えた仕事でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

バナナ