こんにちは。
バナナです

夏休み25日目、
ホテルステイで結局疲れ果てました
w

帰ってきてこどもたちと
レジンで遊びまくってます。
童心に戻ってものづくりをしてると
昔を思い出し、
なんだか自分語りがしたい気分になりました。
今回は自分の性格について
掘り下げみようと思います。
(暇でしたら読んでください。笑)
私は3妹弟の1番上に生まれた長女です。


という親の教えのもと
それが正義として育ちました。
物心つくと、少女漫画大好きな
オタクガールになったので


たとえケンカしても最後は必ずわかり合える。
みたいな綺麗事を栄養に育ったこどもでした。
今思うと、
なんとも無理のある理想をかかげて
思春期を過ごしたなぁと思います

美術の世界に入ろうと思ったとき
それは大きく崩れました。
そのとき、憧れる友達から言われた
「そんなになんでも『〜すべき』って、
思わなくていいんじゃない?」
という言葉に
カルチャーショックを受けました

私はそれまでに作り上げた無茶な理想に
自分と他人を当てはめようと
必死だったのです。
でも、美術の世界にいる友達たちは
とても自由でした。
「人の言うことなんて、関係ねぇよ。」
「人間って辻褄合わなくて、
矛盾したことばっかりで
ホント面白くて美しいよね。」
「バナナが何をしたとしても、
私はバナナが大好きだよ。」
人は人。自分は自分。
その違いを受け入れてくれる友達。
そんな友達の言葉が
自分をいろんなものから
解き放ってくれました。
人はそれぞれ違う。
誰でも迷って、
間違いながら進んでいる。
それだから愛おしくて
それが生きるってことなんだ。
その思いが自分の中に根を張りました

その後、その反動で
誰とでも仲良くしようとする自分が嫌になり
少し尖ってみせた時期もありました。笑
遅れた反抗期です。

わざと人の言うことに逆張りしたり

ぶっきらぼうに装ってみたり

ちょっとアーティスト的な面白人間っぽく
振る舞おうとしました。
(今思うと恥ずかしい
)

でも
それもなんだか居心地が悪いのです。
「人と仲良くしたい」
「困ってる人の力になりたい」
という
いい子ちゃんな自分は
消えてはくれなかったのです。
もうそれは、
どうしようもなく自分なのだと
思いました。
人は人。
自分は自分。
その自分は、
人と関わりたい人なんだ。
自分の中に残っていたものが
絡まって合わさっていきました。
今まで


と思っていたことが


誰かを悪者にしたくない。
と思うようになりました。

誰かを嫌いになってはいけない。
と思っていたのが

私が愛せない人もいる。
その前提で、礼儀のある
フェアな付き合い方をしたい。
と思うようになりました。
それどころか、
私のことを嫌いな人がいても
私が好きであれば大した問題じゃない。
嫌いなのは相手の事情で
好きなのは私の事情。
という、図太さ極まりない思想まで
芽生えていたのです

もちろん
嫌いという感情は自然なことだし
悪いことではありません。
ただ、
人からの嫌いで
自分の好きを捻じ曲げることは
したくありませんでした。
私は私のままでしかいられないのです。
私の好きは私だけのものです。
そうやってできたのが、今の私です。



そんな言葉をかけられることもあるけど
そんなところばっかりじゃないけど
そう思われるのは仕方ない

それが、
ぐるぐる回って
いろんな自分の気持ちを拾ってできた
今の私なのです。
(なんも知らないだろーとは思いますが)
自分語りになりましたが
自分自身の整理もできました

最後までお読みいただき
ありがとうございました。
こんな愛重めの私ではありますがw
これからもよろしくお願いします

