みなさん、こんにちは。
今日は、
どうしても、
お話ししておかなければならないことがあります。
それは、
わが家の台所で起きた、
ある「事件」についてです。
事件、
といっても、
警察が来るような話ではありません。
けれど、
私にとっては、
それと同じくらい、
衝撃的な出来事だったのです。
その舞台は、
どこにでもある、
ごく普通の「冷蔵庫」でした。
実は、
ここ数日、
冷蔵庫を開けるたびに、
ふと感じるものがあったのです。
「……なんか、におう?」
気のせいだと思いたかった。
あるいは、
納豆のにおいだと思いたかった。
でも、
そうではありませんでした。
鼻をかすめる、
あの独特な、
「なにかが終わりを迎えている」
というサイン。
そう。
腐敗(ふはい)の予感です。
そこで、
私は決意しました。
「よし、掃除をしよう。」
この決断が、
まさかあんな深遠(しんえん)な世界へ、
私をいざなうことになるとは、
その時の私は、
これっぽっちも思っていませんでした。
では、
いったい何が起きたのか?
問題は、
一番奥の、
あの「暗黒地帯」にありました。
冷蔵庫というものは、
不思議な場所です。
手前の方は、
いつも光が当たっていて、
牛乳や卵が、
「私はここにいます!」
と主張しています。
いわば、
表舞台(おもてぶたい)です。
ところが、
その奥の方は、
どうでしょうか。
一度奥に入り込んだものは、
光を失い、
時間の流れから、
取り残されてしまいます。
まるで、
深海(しんかい)の底のように。
私はまず、
手前のものをすべて、
外に出すことにしました。
ドレッシング、
使いかけのマヨネーズ、
いつ買ったか忘れた、
謎の小瓶たち……。
すると、
現れたのです。
冷蔵庫の最下層(さいかそう)、
その隅っこに、
ひっそりと鎮座(ちんざ)していた、
「それ」が。
見た瞬間、
私は固まりました。
それは、
かつては「何か」だったのでしょう。
けれど今は、
緑色のような、
グレーのような、
あるいは、
それらすべてを混ぜ合わせたような、
形容しがたい色をしていました。
モコモコとした、
ベルベットのような質感。
「……カビ、だよね?」
そう。
それは、
もはや食材ではありませんでした。
ひとつの、
「生命体」
となっていたのです。
私は思わず、
手を合わせそうになりました。
これは、スゴイことです!!
人間が関与しないところで、
これほどまでに、
力強い進化を遂げていたなんて。
おそらく、
元々は「半分残った大根」だったのだと思います。
しかし、
大根というアイデンティティを捨て、
「カビの帝国」
を築き上げていたのです。
ここで、
少し、話しは変わりますが、
みなさんは、
「エントロピー」
という言葉をご存知でしょうか。
エントロピーが増大する、
という難しい法則(ほうそく)があります。
これは、
ようするに、
「放っておくと、物事はバラバラに、無秩序(むちじょ)になっていく」
ということです。
部屋が自然に片付くことはありません。
でも、
部屋は自然に散らかります。
それと同じように、
私たちの生活も、
放っておけば、
どんどん乱れていく。
冷蔵庫の奥で生まれた、
あの未知の生命体は、
まさに、
「わが家のエントロピーの象徴(しょうちょう)」
だったのです。
では、
いったい、
なぜ私たちは、
冷蔵庫の奥に、
ものを押し込んでしまうのでしょうか?
実は、
ここが重要なポイントなのです。
私たちは、
「見たくないもの」を、
奥へ奥へと、
隠してしまう性質があります。
「まだ食べられるかも」
という、
淡い期待(きたい)。
あるいは、
「捨てるのはもったいない」
という、
罪悪感(ざいあくかん)。
それらを、
「冷蔵庫の奥」
という暗闇に、
封印(ふういん)してしまうのです。
つまり、
冷蔵庫の奥は、
私たちの「心の逃げ場」なのです。
そう考えると、
あのドロドロになった大根は、
単なるゴミではありません。
私の、
「決断を先延ばしにした心」
そのものだったのです。
そう思うと、
掃除をする手が、
少し震えました。
私は、
その未知の生命体を、
丁重(ていちょう)に袋に入れました。
そして、
棚をアルコールで拭きました。
キュッ、キュッ、と。
汚れを落とすたびに、
私の心の中にあった、
モヤモヤとした何かが、
一緒に消えていくような気がしました。
これが、
「浄化(じょうか)」
ということです。
汚れた場所を、
きれいにする。
たったそれだけのことが、
これほどまでに、
清々しい(すがすがしい)気持ちにさせてくれる。
掃除とは、
単に汚れを落とす作業ではありません。
それは、
「自分自身の状態を整える」
という、
神聖(しんせい)な行為なのです。
問題は、ここからです。
冷蔵庫がきれいになると、
ある「変化」が起きました。
中が、
スカスカになったのです。
今まで、
あんなにギュウギュウに、
ものが詰まっていたのに。
実は、
そのほとんどが、
「不要なもの」
だったということになります。
賞味期限が、
2年前に切れていた、
謎のコチュジャン。
いつか使うと思って、
取っておいた、
お寿司についてくる、
小さな醤油のパックたち。
これらは、
私の生活を、
豊かにするどころか、
「重荷(おもに)」
になっていたのです。
では、
それが「ありうる」と仮定するとします。
もし、
あなたの冷蔵庫が、
今のあなたの「人生」を表しているとしたら?
どうでしょうか。
新しいものを受け入れる、
「余白(よはく)」
はありますか?
古い感情や、
過去の執着(しゅうちゃく)で、
パンパンになってはいませんか?
そう。
冷蔵庫の掃除は、
「人生の整理整頓」
と同じだったのです。
ここで、
別の具体例を出してみましょう。
たとえば、
スマートフォンの写真フォルダです。
何千枚もの写真。
似たようなショット。
二度と見返さない、
スクリーンショット。
それらもまた、
私たちのデジタルな「冷蔵庫」に、
押し込まれた、
未知の生命体予備軍かもしれません。
それと同じように、
私たちの「頭の中」も、
同じことが言えるでしょう。
終わったはずの、
人間関係。
もう必要のない、
古い常識(じょうしき)。
それらを、
いつまでも脳内の冷蔵庫に、
保管していませんか?
そして、
それらがいつの間にか、
「におい」を放ち始め、
今のあなたを、
苦しめてはいないでしょうか?
だからこそ、
「捨てる」という行為が、
必要なのです。
捨てる、
ということは、
「あきらめる」ことではありません。
それは、
「今、一番大切なもの」
を、
選ぶということです。
冷蔵庫をきれいにしたあと、
私は、
スーパーに買い物に行きました。
不思議なことに、
今までとは、
ものの見方が変わっていました。
「あ、これは今の私に必要だ。」
「これは、まだいらないかな。」
冷蔵庫の中に、
「空間」があるからこそ、
新しいものを、
本当に必要な分だけ、
選ぶことができるようになったのです。
これは、スゴイことです!!
たかが冷蔵庫の掃除。
されど冷蔵庫の掃除。
私は、
たった一つの野菜室を磨いただけで、
「宇宙の真理(しんり)」
に触れてしまったような気がします。
では、
いったい、どうしたらいいのでしょうか?
まずは、
勇気を出して、
扉を開けることです。
そして、
一番奥にある、
「見たくないもの」
と、
向き合うことです。
それは、
最初は怖いかもしれません。
未知の生命体と、
目が合うかもしれません。
でも、
大丈夫です。
それを、
一つひとつ、
手放していくたびに、
あなたは、
新しく生まれ変わることができます。
つまり、
冷蔵庫の掃除とは、
「過去の自分への決別(けつべつ)」
であり、
「未来の自分へのプレゼント」
なのです。
そう考えると、
非常に面白いと思います。
私たちの日常の、
ほんの些細(ささい)な出来事。
たとえば、
靴を揃える。
コップを洗う。
冷蔵庫を拭く。
それらすべてが、
大きな、大きな、
人生の流れに繋がっている。
問題は、
私たちがそれに気づけるかどうか。
ただそれだけのことなのです。
実は、
あの未知の生命体は、
私に教えに来てくれたのかもしれません。
「もう、古い自分は卒業だよ」
と。
そう考えると、
あのカビだらけの大根にも、
感謝の気持ちが湧いてきます。
……いや、
やっぱり感謝はしませんが(笑)。
でも、
おかげで、
私の冷蔵庫は今、
まばゆいばかりの、
光を放っています。
開けるたびに、
心が躍る。
そんな冷蔵庫になりました。
これは、
単なる収納(しゅうのう)ではありません。
私の、
「希望(きぼう)」
を保存する場所になったのです。
だからこそ、
みなさんにも、
ぜひおすすめしたい。
もし、
最近なんだか体が重い、
運気が上がらない、
と感じているなら。
今すぐ、
冷蔵庫の、
あの「暗黒地帯」を、
覗いてみてください。
そこには、
あなたの人生を、
劇的に変えるための、
ヒントが隠されているはずです。
掃除をしましょう。
磨きましょう。
そして、
新しい風を、
呼び込みましょう。
そう、
「きれいな冷蔵庫」
は、
「幸せな人生」
への、
第一歩なのですから。
本当に、
スゴイことだと思います。
たった一つの、
掃除という行為が。
これほどまでに、
私たちを、
自由にしてくれるなんて。
さあ、
私もこれから、
ピカピカになった冷蔵庫に、
今の私に、
一番ふさわしい、
新鮮な食材を、
迎え入れに行こうと思います。
今日の夜ご飯は、
何にしましょうか。
きっと、
これまでで一番、
美味しい料理ができる。
そんな予感がしています。
だって、
私の心は今、
冷蔵庫のライトのように、
とっても明るいのですから・・。
少し、話しは変わりますが、
私たちは、
いつも何かを、
手に入れようとしています。
もっと知識を。
もっとお金を。
もっと、
人からの評価を。
そうやって、
自分のなかに、
たくさんのものを、
詰め込もうとしてしまいます。
まるで、
あの、
ぎゅうぎゅう詰めの、
冷蔵庫のように。
ようするに、
「空白」
が、
怖いのです。
何も入っていない、
からっぽの空間があると、
なんだか、
損をしているような、
不安な気持ちになってしまう。
みなさんにも、
そんな経験は、
ないでしょうか?
たとえば、
スマートフォンの画面。
使わないアプリで、
埋め尽くされていませんか?
あるいは、
休日の予定。
びっしりと、
スケジュールを、
入れてしまっていませんか?
実は、
ここに、
現代人の大きな罠が、
隠されているのです。
それは、
スペースがなければ、
本当に新しいものは、
入ってこない、
ということです。
東洋の古い考え方に、
『真空妙有(しんくうみょうう)』
という言葉があります。
難しい言葉ですね。
これは、
「何もない、
からっぽの空間(真空)にこそ、
素晴らしいもの(妙有)が生まれる」
という意味です。
ようするに、
ただの「無」ではなく、
そこには無限の可能性が、
満ちている、
ということなのです。
それと同じように。
私たちの心も、
人生も、
あえて「隙間」を、
作っておく必要があります。
では、いったい、
どうして隙間が必要なのでしょうか?
問題は、
私たちのエネルギーの量、
にあります。
人間の使えるエネルギーは、
無限ではありません。
古いもので、
頭も心も、
いっぱいになっていると。
新しいアイデアや、
素敵な出会い、
そして、
「幸運」
が入ってくる、
スペースがなくなってしまうのです。
だからこそ、
あえて「手放す」こと。
スペースを空けること。
これが、
とても重要になってきます。
冷蔵庫を片付けることは、
まさに、
この、
『余白(よはく)』
を、
自分の手で作る作業、
だったのです。
すっきりと空いた、
冷蔵庫の棚。
そこには、
ただ「物がない」
のではありません。
そこにあるのは、
「これから、
何でも入れられるという、
未来の可能性」
なのです。
そう考えると、
あの冷たい箱のなかに、
なんだか、
あたたかい希望が、
満ちているように思えてきませんか?
私たちは、
ついつい、
「足し算」
ばかりを考えてしまいます。
けれど、
本当に豊かな人生を送るために、
必要なのは、
『引き算』
なのかもしれません。
不要なものを手放し、
余白を作る。
ただそれだけで、
世界の見え方は、
ガラリと変わります。
心が軽くなり、
本当に大切なものが、
自然と見えてくるようになります。
だから、
焦らなくていいのです。
何かで埋め尽くそうと、
しなくていいのです。
あなたの人生に、
美しい余白を、
作ってあげてください。
その余白が、
いつかあなたを、
思いもよらない、
素敵な場所へと、
運んでくれるはずですから。
さあ、
あなたの目の前にある、
その「スペース」に。
次は、
どんな素敵な物語を、
描き入れましょうか。
そう想像するだけで、
ワクワクしてきますね。