子育て、って言葉は | 大人のADHD パナマの日記 

大人のADHD パナマの日記 

成人の発達障害(ADHD)を持ち感じていることや、日常生活についてマイペースに書いています。
他に好きな本や、音楽のことなど。
子育て奮闘中。

育児や子育てっていう言葉は、ありふれているのだけど、実は使うたびに気が引ける言葉の一つです。

なんだか、“(よくいる)人並みに子育ての苦労をして、人並みに旦那の愚痴を言う、人並みに色々こなしてる主婦”になりすましてるみたいで…。

そもそも私のこのようなステレオタイプなイメージが貧困なのですけどね。


そして仕事先のお昼休憩なんかには、そのような範疇にいる人間になりすまそうとしている自分を感じます。

それはそれで、今の自分にとって生き残り術なのだと思います。


いつも読ませて頂いているブログを読むと、ほぼほぼ、本当の気持ちを出せるのはやっぱり、リアルではないここだけかなって感じます。


自分や子どものことを知り、探るなかで、沢山の子育てブログを読ませて頂いてきました。

障害児育児や、ご自身の特性も見つめていらっしゃるお母さまのブログも。

子どもとのことはなかなか、書きづらくて、読む専門になっていましたが…。


発達特性を持ち、未だもがき続ける私が子どもと共に生きることって、やはり生半可ではなかった。

もちろん、私にとっては幸せだけど、やはり適格者とは言えない。


子どもの発達、特性、睡眠や癇癪、排泄、そして就学に向けてなど、やはり私も悩み続けています。

相談しながら、本やブログも読みつつ、自分なりのすごい適当な信念?で関わっています。

自分の勘が少し当てはまる記述を読んだ時は嬉しくなります。

例えば、自分なりに「人が育つなかで”甘え足りない”、”遊び足りない”の2つの足りないは充たされる必要がありそうだ」とか、まあ当たり前といえば当たり前のことなんだけど…。

ずっと何となくそう感じてきたので、子どもとの時間もその2つを気にしている。

生活習慣やお勉強などは、どうも自分も苦手だからうまく定着させてあげられません。

生活動作は保育園(子ども園)に本当にお任せしている(ダメたけど)。

お勉強準備はまるでしていないけど、絵本やお話をよく好んで聴けているので、それが土台となることを信じます。

まだ幼児さんなので、あと少し、なるべく一緒に思い切り遊ぶ時間を持ちたいです。


自分自身についても、また少しずつ取り止めもないことを書いていきたいです。