岸首相と戸田城聖 | なんでも雑記

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昭和33年3月16日に大石寺で催された、「広宣流布の記念式典」に、当時首相だった岸を戸田会長は招待しました。自民党内部の反対のために岸は出席しませんでした。


岸首相に圧力をかけたのは宿谷栄一元参院議員と池田正之輔衆院議員で、それら議員のバックには創価学会と対立する日蓮宗が控えていた。

そして岸首相の代わりに当日やって来たのは、岸首相夫人、南条徳男前建設相、岸首相の娘婿の安倍晋太郎秘書、そして東京都の安井誠一郎都知事であったが、戸田は南条に「あんたは岸首相の四天王と言われているそうだが、八天王ぐらいだろう」と嫌味を言っている。


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「宗教界の王者」

 少しからだを悪くして、口は前より三人前ぐらい達者になったが、足の方が三分の一に減ってしまって、どうもこれは、どっちがいいものだかな。あかばかりたまって、洗うのにほねがおれる。

 いや、岸総理もなかなかりっぱなお方でありましてね。このあいだ、週刊朝日かなんかで見たというて、わしにある人が報告しましたが、加屋さんにある人が、岸はだめだ、だから、もう少しりっぱな人物を立てなければといったら、今、日本の国で、岸をおいたらほかに人物がいるかと、加屋さんが答えたそうだよ。ほんとうに書いてあったかどうか、私が見たのではないけれども。


 私は心のなかから、あの人が幹事長のときから思っているのです。日本の政権を保って、社会党と共産党をおさえていける人は、岸先生しかいないということを、あの人が幹事長のときに深く心に思うて尊敬していたのです。

 今度も、ついたちの落慶法要にはこれないっていうから、そのあとはどうだといったら、十六日なら行こうというから、きょうを楽しみにしておったのですが。なにしろ商売が商売だからね。月給は安いものだよ。一国の総理だって、いくらも、もらわないのだよ。しかし、こき使われることはずいぶんこき使われるらしい。きょうも昼までに東京にこなければだめだと、電話がかかってきたそうだ。岸さんは『きょうは、ほかに約束があるからだめだ』と断わったが、どうしてもきてもらわなければ話が終わらない、よって、無理にね……。なにしろ自民党のあれだけの大世帯を背負って立っているのだもの。それはしかたがないでしょう。

 しかし、お嬢さんと坊ちゃんと奥さまと、その他自分がこの人と頼む人々をですね、さしむけて本山へよこされたその誠意というものは、私は心からうれしく思う。帰ったら改めてお礼も言おうと思うけれども、ここの電話では礼を言うわけにはいかないのだよ。電話が聞こえないうちに料金が高くてね。礼を少し長く言うと七百円だ、八百円だとかとられ(ママ)しまう。東京へ帰って電話すれば七円ですむのだから。東京へ行ってから、よくお礼を言うつもりです。私が礼を言ったら、会長は十四円ぐらいのところでやったなと思ってください。

 まあ、ここ四、五年は、その先はわからないよ。岸総理に日本の国を、まあなんとかしてもらうさ。まあ、それ以外に方法はないよ。きょうきてくれればなにも文句はなかったのだよ。ないっていったって、商売が商売だからね。あれがほかの商売なら、きょう豚を殺さなければ、あすにはどうこうということはない。まあ一晩ぐらい生かしておいたっていいではないか。あす殺せやということができる。しかし、これは日本の政局上、もう一時間はずれても、大きな波動をもたらしますからね。岸先生がどうしてもこられないって、そうおっしゃる以上には、これはやむをえないと心で思いました。

 しかし、奥さまもおいでくだすったし、坊ちゃまも、それからご親せきの方もおいでくだすって、しかも前の建設大臣だよ。いまではないですよ、お古のほうだよ。お古の建設大臣。岸四天王のひとりだとうわさがあるが中身はわからない。八天王のひとりかもしれない。そういうふうに、これまでの人をつけて、岸先生がこの御本山を思うてくれた真心には、戸田は感謝にたえない。

 このたびも、石橋湛山君が身延へお参りして、そうしてなんとかの衣をもらって、位を何級かもらって、中風になってしまって。それだけはさしたくないと、岸先生の名声のある限り、このお山で岸先生の武運長久を祈ろうと思った。

 これはお山で大問題でありました。法主さまに直接私が談判して……、あれでまあ、宗務院ではどうのこうの畳を二枚あげてやるとか、さげてやるとかね。なにしろ、ここは徳川時代より古いのだから。足利政府よりふるいのだから、じつに古い寺ですからね。しきたりがじつにやかましいのです。まあ、そんなことはどうでもいいから、畳が足りなければ私が買ってくるから、いくらもしないよ、あんなもの。だからそれを飾って岸先生の武運長久を祈ってやってくれと、ね、そしておからだも丈夫に、また日本の政治も、岸先生が、両岸だ、無岸だ、岸がねえ……などといわれてね。そんなこといわれたって、それは政治家はあたりまえのことで、なんでもないことです。なんでもないことだけれども、そのなかから岸先生のあのたくましい男の生命をですね、盛り上がってくるように、御本尊様へお願いしてください、とこうお願いしたのです。だいたい御了承願ったのが、きょうそれができない、ただそれが残念なだけだ。

 だが、きょうできなくってもいいではないか。正法に帰依する者が、いっぺんで帰依したおぼえはないのだから。君らまじめな顔をしてそこにおれば、正法の話を聞いてすぐにそうしたと思っているかもしらんけれども、さんざんいわれて、いやな思いをして、そして正法に帰依してよくなったのだから、岸さんにそれをやらさせたくなかっただけの僕の友情だよ。

 だから、きょうは、御家族に、満足していただくってもね、この山中では、なにも満足してもらうものはないですよ。富士山を見てもらうのと、杉を見てもらうしかない。創価学会といえば、新興宗教というアダ名がある。新興宗教にこんな大きな杉の木があるかい。こんなものが、三年や五年でつくれる方法があったら、私は新興宗教のいちばんのトップをやるよ。これは六百何十年、七百年近い歴史をもった寺なのですから、まあ岸先生も、きょうは残念に思っていらっしゃる。それは、よくわしは、岸総理の胸の中が浮かばれる。

 岸先生の敗軍や、勝ちいくさなどというのは、わしには問題にならない。岸先生が総理だから偉いと思ったおぼえはありません。岸先生が、これからどんな立場にお立ちになっても、わしは悪い人だとは思いません。それが友人の真心ではないでしょうか。君らも、そういう心で、岸先生と付き合ってください。私も付き合うつもりだ。そのうちに御授戒を受けるよ。

 今、その、御本尊様よりね、票のほうが御本尊様よりよく見える年なのだから。一票二票とはいるだろう。あれがなんだかありがたく見える年なのだから。それは見させておいてあげなさい。

 同じ岸系といっても、いろいろあるな。ここらでへたくそにたった代議士の応援などやるなよ。私は宗教団体の王様なのだから、岸先生は政治団体の王様なのだ。立場が違うだけです。ただ人間を理解し合えばいいのだよ。まあ、少し話が長すぎちゃったよ。まだ話してやりたいことはたくさんあるけれども、これくらいでよしておこう。

昭和33年3月16日
岸首相夫人一行を迎う
日蓮正宗総本山富士大石寺


『戸田城聖 講演集 下』
昭和36年10月12日 初版発行