「縁」というものは誠にもって不思議なものです。生きていると、さまざまな場面で繋がりを思い知ることでしょう。世界が狭いわけではありません。それは縁なのです。そして世界は円なのです。



縁は一つ一つが繋がり合って円を結びます。そして、ときには縁が切れたり、縁を切ったりもすることでしょう。円は大きくなったり、小さくなったりしながら、でも結局は、正の方向に広がっていくような気がします。



人は昔、炎を囲んで宴をしました。炎からは煙が上がり、煙は伸びて空へ届きます。



人は悩み淵に堕ちます。たやすく抜け出ることのできない深みに嵌り。



人は猿、同じ過ちを繰り返す日々。



時間はどこへ延びているのでしょう。はじまりに終わりはつきもの。時間もおそらく終わりがきます。時間の終わりは世界の終わりでしょうか。いいえ、世界が終わっても時間は終わりません。



end.



この文章には9種類の「えん」が使用されています。えんのお話でした。





小さい頃、公園などで遊んでいる集団に入れてもらうとき、「まぜて」と言ったことのある人は多いかと思います。




「まぜて」とは「混ぜて」
「混ぜる」という動詞は、英語では
「mix」


mixとは液体と液体を一緒にするイメージをもちます。



これが外国、特に欧米などでは、仲間に入れてもらうとき、
「join」を使用します。混ざるのではなく、つながる。つながるだけなのです





joinはつなぐ、つながるという意味をもち、こちらは固体と固体とが手をつなぎ、一緒になるイメージです。











つまり、日本は液体の社会で、欧米は固体の社会ということになります。








日本人というのは、流動的で、液体の中に互いに溶け合って存在していたいと社会本能的に思っているようです。








個として主張することを、個として存在することを無意識的に拒否、あるいは回避しているのではないでしょうか。







匿名であることや不特定多数に混ざっていることで安心を感じる。行動するにしても、周囲と同じように、自分一人が浮いてしまわないようにと…








さて、この話から何が分かるのか。
教訓を求めるな、ということです。




特に何のお話でもありません。読んだ方それぞれが何か感じていただけたら幸いです♪






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『夜が運ばれてくるまでに』




敵は自分。弱い自分。
味方は自分。強い自分。

二つが戦えば――
強い方が勝つはずだ。




この本では、少し胸が痛むような、でもほんのりと温かい、そんな言葉たちが並べられています。


何が普通で何が普通でないのか

自然なことって?

思い込みや決めつけ


などなど…ときにドキリとさせられたり、答えをさがしたり、大切なことに気づかされたり、そんな一冊です。




『夜が運ばれてくるまでに』
まず、タイトルが素敵だと思いました。


まるで「夜」はだれかによって運ばれてくるような、夜がそんな存在であることがしっくりきたのかもしれません。


挿絵がとっても優しくてシリアスな内容のところでも、そこに残るのは決して悲しみや不安だけじゃなくて。。。


そんな風に、この挿絵のように優しく、温かく、これらの言葉たちを受け止められるようになるときがくるのだと思います。そんな大人になれたらィィなキラキラ