香港が中国に返還されることが決まったとき、わたくしは、あることで妙な焦りを感じていました。

 北京大学で中国文学を専攻していたわたくしにとって、当時の中国で禁書扱いされていた『金瓶梅』や『二拍』などの文学作品は、どうしても気になる存在でした。これらの本は、わたくしたち留学生なら北京大学の図書館で借りて読むことができましたが、一般の中国人学生が自由に手にすることはできません。まして本屋などで買うなど、考えられないことでした。

 しかも、文革前に中国で出版された本であっても、性的な描写など問題とされた箇所は削除され、その部分には「○○文字削除」といった注意書きが入っていました。それでもその部分を外しても、作品の全体像を掴むことができます。

 一方、台湾で出版されたものには、さらに驚かされました。削除された部分を単に省くのではなく、前後の流れを汲み取って、段落そのものを編纂してしまうのです。これでは原作の形が崩れ、もはや原作者が書いた作品とは言えません。わたくしにしてみれば、中国大陸の「○○文字削除」のほうが、まだましだと思ったものです。とはいえ、その削除量はかなりのもので、作品によっては三百字以上に及ぶこともありました。

 そこで思い出したのが、留学時代、ほかの留学生が香港から買ってきた本でした。それらは一切改ざんされていませんでした。

「そうだ。香港返還の前に、香港で買っておけばいい」

 そう考えたわたくしは、仕事で香港を経由して中国へ出張するたびに、本を探すことにしました。

 ところが、当時の広州と東京の間には直行便がなく、香港経由で帰国する場合でも、ほとんどが空港での乗り継ぎか、せいぜい一泊する程度です。そんな貴重な時間を利用して香港の街へ出かけ、本屋を探して歩き回りました。

 しかし、土地勘がなかったこともあり、「香港には本屋が少ないなあ」と実感しました。それに、幼いころ香港に立ち寄った際の印象も手伝って、標準語がほとんど通じない香港を、わたくしは最近までどうも好きになれなかったのです。わざわざ香港旅行をする気にもなりませんでした。

 ところが、時代は変わりました。

 いまでは中国大陸でも、こうした作品を完全な形で簡単に買うことができます。さらに最近では、さまざまな古典文学がインターネットを通して無料で読めるようになりました。

 人間というのは不思議なものです。

「いつでも買える」と分かった途端、今度は欲しくなくなる。

 結局、わが家には、あのころ香港まで出かけて探し回った『金瓶梅』がありません。

 香港返還を前に、あれほど焦っていたのはいったい何だったのでしょう。

 いま思えば、まったくの――取り越し苦労でした。