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JR大宮駅東口にはいいお店がある。カウンター席。
街中居酒屋、そんなに混んでるわけでもないお店のカウンター。幾つかの大皿につまみ惣菜料理が目の前に盛ってある。
これから仕事という1人の客。女性、27才だって。
若いから、おもむろに化粧品出して並べて。仕事の準備、オシャレ化粧をし始めたそうだ。
その居酒屋で働く年輩女性から聞いたはなし。こちら男の感覚でも、聞いて「それはないよな~!」と。
仕事で着飾る、というかオシャレ身繕いなんだろう。化粧もいいけどその前に気づくといいのに、働く若い女性。
そのあと、どうなったのかは聞いていない。
#ゆとるり #躾 #頑張れ働く若者
わたしの秋は…そっと来てすぅーっ。
暑がり寒がりの身でなんと言っても好きなのは秋です。70に成っても変わらずにずっとこの季節ならいいのにと思ってます。
近年例えばこの夏だったら気温は体温を上まわってしまうような猛暑酷暑と気象ニュースがこれでもかこれでもかと報道していましたね。
9月中秋の名月も10月台風被害もあわただしく過ぎてもうそれだけで「心地よい秋」はいつ来るのかと思いきやこのところ朝は寒いくらいに涼しくて秋のお彼岸も過ぎて神無月も中入り状態です。
ならば今こそ季節は秋かと思うのですが紅葉はまだ今ひとつだし台風の影響からか空は曇天曇り空なのです。
寒くなりきらないくらいの秋がいいのであってそれがいつからなのかを感じとる気持ちがどうも定まらない。
久しぶりにキャンパスを訪ねてみましたけどどこに隠れたのか秋がどこかで足踏みしているようでただ静かなだけでした。
2週間もすれば霜月11月そして師走ですよ。
今年のわたしの秋はまだなのにすぅーっと過ぎていってしまいそうな秋そしてもうすぐそこに冬がと空を見上げています。
2022/10/14
少し多めの塩がかかったトーストを、久しぶりにモーニングそしてコーヒー。今朝の朝食だ。
あさ、家で食べているけどこの頃、喫茶店で珈琲飲むの少なくなったなと思った。
家で食べたってパンは美味しいし玉子焼きもたっぷり、ベーコンもざっくりあって。
珈琲はもちろんインスタントだけれど薫りもよくて文句は、ない。
自分の部屋で平日からのんびりできるようになってから数年経っているけどなにも不満は、ない。
かつて、街には喫茶店がたくさんあって、サラリーマン時代にはよく利用した時間空間だった。
朝のルーチンとして、皆それぞれ馴染みの喫茶店があったり出先の街で飛び込む店も沢山あった。
仕事とは別に気の会う友と待ち合わせるのも喫茶店だったし、デートスポットだった。
一人で喫茶店に行くのもまたこれもいいもので、家に書斎を持たない者の安らぎ空間。
いまは仕事もなにも気にすることは無いので家で十分満足できる、そんな歳になった。古稀70才。
ふと街に出て一人でもいいし相手がいたら居たでそれでもいいから、また行ってみたいと思った。
喫茶店が1つの時代の記憶として何故か懐かしく、2022年の今はいい時代で平和だなと、ふと思う。
https://profile.ameba.jp/me
「良いアート作品に出合うのは体力仕事」だ!」
#サン画廊 #ゆとるり
美術展覧会を鑑賞するには、けっこう体力を消耗する。
埼玉県の美術展は、応募件数やその内容でも評価が高いそうだ。
きのう、久しぶりに観てきました。
むかし彫刻部門で、2年続けて入選した経験もあり。
さっそくお目当ての彫刻展示ブースへ。
運営や展示レイアウトもさほど変わっていなかったので、
違和感は無い。
でもその時とは違い、いまはサン画廊の眼でみてみたい!
とたのしみに作品に向かい合った。
作品内容やレベルは高くなっている。
時代背景としては、だれでも美術の製作材料や道具機器など。
今はいい時代。
随分豊かになっていて。
彫刻で言えば、FRPや溶接グラインダーや大きな木材や石材。
いまは手軽に利用できるようになっている。
良い時代だ。
そんな沢山の面白い作品をたのしみながら、
やっていることがある。
展覧会全体で一点、たった一つのいい作品を探すということだ。
若いころは、目にした作品はいくらでも入ってきて。
記憶のリストにどんどん蓄積された。
いまはもうそんなことは、出来ない。
だから作品展示のブースに立って一瞥する。
その中で、「どきっとする作品」を発見する。
結果、なかったらあきらめる!というわけだ。
さて今回はどうだったか?
北浦和a-house(えーはうす)
画廊bar2F
サン画廊
さてさて、
ゆっくりそのあたりの
はなししに遊びに来てみてください。
ゆとるり
美術でも音楽でも陶芸でも彫刻でも写真でも
なるほどと疑いなくその良さを実感できるならば
いまは分からなくても
すくなくとも間違いなく芸術に近づいてきている
いまを大切に過ごして
芸術の豊かさを実感しよう
サン画廊
2か月前、アキレス腱断裂の手術をして。
むかし、痛風の痛みをうたったことを思い出したので。
初めての発作は1998年だったと。
その後何度も発作を経験して、いまに至っている。
だれか、メロディーをつてけてもらえたらと期待しています。
2014.04.15
【 養生哀歌(痛風の唄) #030912 】
(作詞 : クルー No)
のどが渇けば冷たいビール
寿司にとんかつイカそうめん
こんな生活していたら
いつかはなるぞと知りながら
いまかいまかでどんと来た
あし親指のつけ根はぶつくり腫れて
風が吹いても痛いいたい
じっとしてても痛いいたい
さわられるなんてとんでもない
大のおとなが顔しかめ
切る刺すこわれる破裂する
すきで承知でなったこと
でもこのいたみ
なってみなけりゃ判らない
なってみるまでわからない
ダメダコリャッ!痛って-
ひといきつけば生ビール
さしみ焼き肉いくら井
こんな生活していたら
いつかはなるぞと知りながら
やっぱり来ましたどんと来た
あし親指のつけ根はぶつくり腫れて
痛み抑えるヴォルタレン(ロキソニン)
胃にはカプセルセルベックス
飲みなれたわけではないけれど
薬があるとはいいながら
切る刺すごわれるこの痛さ
すきで承知でなったこと
でもこのいたみ
なってみるまで上の空
なってみるまでわからない
ダメダコリャッ!痛って-
この八重桜を、と酢で漬け込みほどよく水で戻してはご飯にまぜる。
これでおいしく食べられるという事を小耳にした。
一本の八重桜の木から何キロも採れて、農家の人は「これはおいしい樹だ」とまでいうそうだ。
さてさて、目の前にあってそれもありきたりのものが、けっこうおもしろいものだと思う。
そして、それがなくなってみるとやっとそのことに気がつくというやつだ。
過去にも、いまも、そしてあるであろう将来にも、それはあったろうしあるだろう。
石炭はむかしは確かに身の回りにあった。
黒いダイヤモンド。とかいっていたし、普通にあった。
お米や野菜なんかもごく普通にあった。
数の子もいくらでも食べられたし、うなぎだって食べておいしかった。
ランプの話まで持ち出そうとはしないが、電気は生活を大きく便利にしてくれた。
放射能に汚染された北の大地は何を物語っているのだろうか。
確かに、限りあるもので変わらないものは無いとは知っている。
それだからこそ、いま気がつかない大切なものを知ることが必要だと。
そんなことを思いながら、天気のいいこの秋の日を送っている。
サン画廊住人