久々のブログアップです。
 
先週の水曜日、パク・シニャンさんのinstagramが更新され、セルカではなくどなたかが撮った写真がアップされました。リアルタイムなのか?過去形なのか?はいつもの事ですが不明。
 
とにかく久々のシニャンさんのお姿が拝見できた、しか~し、いつ?どこで??誰が撮った??2枚の画像から読み解いてみたところ、意外な事実をたどりつきました。
 
↓画像出典:パク・シニャンさんinstagram
 
まず、1枚目は展示パネルの写真をスマホで撮っているシニャンさんの後ろ姿。拡大してみると展示の文字はロシア語です。「92годa」これは92年(1992年)を意味しているでしょう。
 
もう1枚は劇場で監督さんとおぼしき男性と会話するシニャンさん。
 
↓画像出典:パク・シニャンさんinstagram

 
ん~、どこかで見かけたことがあるような・・・展示パネルやホール・・。展示の文字はロシア語ということは、シニャンさんのいらっしゃる場所はロシアのどこかに間違いなく、過去の記憶をたどりつつ、シニャンさんにゆかりのある場所の画像をいろいろ探索してみました。
 
ほとなく判明、展示パネルとホールの椅子の仕様で、やはり「ボリス・シューキン記念演劇大学(Boris Shchukin Theatre Institute)」ですね。
 
↓比較検討画像1(出典:ロシアの画像共有サイトfoursquare)
 
本館の階段の壁に、歴代の大学に寄与された方や演じられた演目の写真が、時系列にまとめられて掲示されているそうです。
 
↓比較検討画像2(画像出典:ロシアの画像サイトfoursquare)
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小劇場の椅子の仕様やフレームの色が同じです。学内には授業もちろん、卒業制作発表の場にも使われる大きめのホール1つと小ホールが3つあるとのこと。私が演劇の監督さん?と思ったのは、演技の指導教授かな?
 
↓比較画像3(画像出典:大学公式サイト)
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体育館(имнастический зал (ГЗ))と呼ばれるホールの画像が決め手です。
 
1992年東国大学校演劇学科を卒業後、一旦は東国大学校の大学院演劇映画科に進まれたシニャンさんは、休学して演劇仲間とモスクワのシェーフキン演劇大学とシューキン演劇大学へ留学されています。では、ボリス・シューキン記念演劇大学について少し解説します。
 
>以下、東京外国語大学サイトより、2015年大学で上演されたシューキン演劇大学劇団の公演レポより一部引用
 
シューキン演劇大学は1914年にエヴゲーニイ・ワフタンゴフがモスクワで学生たちに演劇指導をしたのが始まりで、昨年、創立百周年を迎えた。名優ボリス・シューキンの名を冠するようになったのは1939年。長年にわたって演劇・映画・テレビの世界に数多くの才能を輩出してきた由緒ある学校である。
 
>引用ここまで
 
※補足
名優ボリス・シューキンはワフタンゴフのお弟子さん、ボリス・シューキン記念演劇大学は国立ワフタンゴフ劇場の附属の教育機関となっているとのこと。
 
大学と言っても総合大学ではなく演技や演出をを学ぶ事に特化した教育機関、現在は20人前後の難関を突破した学生が、4年間共に実技だけではなくさまざまな理論を学び、及第点に達しないと容赦なく退学。
 
ロシアの俳優はほぼ100%こうした国立の演劇大学を卒業しているそうです。シニャンさんが留学されていたのは25年前ですが、大学教育の根底にあるスタニスラフスキーの演劇理論は変わりないので、シニャンさんも同じような授業を受け、基礎訓練をみっちり積まれたことと思います。
 
さらに・・・気になって掘り下げました。
 

シニャンさんのスマホの中の男性は、1992年の掲示のところにあります。シニャンさんがロシアに留学された年。シェーフキン演劇大学とシューキン演劇大学の学ばれた順番は定かではありませんが、もしやシニャンさんのロシア時代の恩師の故ユーリ・ミハイロビッチ・アヴシャロフ(Юрий Михайлович Авшаров)教授ではないかな?と思い、こちらもあれこれ調べてみました。

 
2010年1月29日に73歳の若さで亡くなられた時もFCに情報を上げましたが、正確なお名前や画像がなかなか見つからず当時も非常に難儀しました。
 
↓こちらは後年の画像(画像出典:kino-teatr.ru
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もう少し若い頃の画像をロシアの画像サイトで見つけてきました。
 
↓1980年「見知らぬ人」での画像(画像出典:kino-teatr.ru)
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↓画像出典:Sergey Nikolaev氏の「映画ストーリー」より
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↑シニャンさんのInstagramからトリミング
 
ベテランの貫禄のお顔つきとは若干異なり、ややエラの貼った彫の深い精悍な旧ソビエトの俳優とシニャンさんのスマホの中の画像、ビンゴだと思うのですが、私の謎解きはいかがでしょうか?
 
経歴によると、1967年から2010年までシューキン演劇大学で教鞭を取っていらしたようです。モスクワでの教授の葬儀の時、シニャンさんはもちろん駆けつけられ、もっと早くロシアを訪問して妻や娘を恩師に紹介したかったと後悔されていました。
 
「俳優学校」の出演にあたっての抱負で、シニャンさんは「私にも演技の先生がいた。韓国に1人、ロシアに1人、演技の先生があったからこそ今の私がある」と語っていらっしゃいます。韓国の先生は、母校東国大学校の故・ユ・ヒョンモク教授、ロシアでの先生は故ユーリ・ミハイロビッチ・アヴシャロフ教授だと個人的にはとらえています。
 
又、「私の部屋の案内書」第4回で、ロシアのお友達キリル・カロさんの肖像画も出てきましたね。
↓画像出典:newsis
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キリル・カロさんも同じシューキン演劇大学で学んでいます。1975年生まれ、高校を卒業して1993年にシューキン演劇大学に入学、ほぼ同級生だったのかな。友人のお母さんの葬儀参列のため(彼の母国はエストニア)、シニャンさんが飛行機代を出してあげたり、シニャンさんが学費が払えなくなった時は逆にキリル・カロさんが仲間うちで大学への嘆願書を書いてたり、苦しい留学時代に生まれた友情。シューキン演劇大学でのエピソードだったのかな?と思います。
 
ちなみに、NHKで放送されたドラマ「スニッファー 嗅覚捜査官」のオリジナルは、ウクライナでドラマ化された「スニッファー ウクライナの私立探偵」。阿部寛さんが演じた嗅覚捜査官をオリジナルではキリル・カロさんが演じています。お二人よく似ていらっしゃいますよね。
 
1週間かけて点と点を少しずつ線で繋いでいく楽しい作業でした。最近はブログ執筆にあまり時間を割けないので、次回は解説つきでinstagramアップしていただけるとモアベターです。