船の旅 北九州&下関№3(壇ノ浦) | bamboohouse-masterのブログ

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マスターの気まぐれ写真日記

源平最後の合戦

 

「壇之浦の戦い」

 

合戦の地は

 

関門海峡の幅が

 

最も狭く

 

潮の流れが

 

激しいこの場所でした

 

潮の流れに乗った

 

平家有利でしたが

 

昼頃になると

 

潮の流れが変わり

 

義経の勝利で

 

決着がつきます

源義経 平知盛両雄の

 

像とともに

 

安徳天皇水之処碑

壇ノ浦の合戦に敗れ

 

平家一門は

 

滅亡します

 

貴族から武士へと

 

時代が動いた

 

瞬間でもありました

この地は

 

「馬関戦争」の

 

舞台でもあります

幕末

 

長州藩は

 

下関海峡を封鎖

 

諸外国の船を

 

攻撃します

イギリス アメリカ フランス オランダは

 

四国連合艦隊を結成

 

報復に出ます

大敗した

 

長州藩は

 

諸外国との軍事力の差に

 

攘夷は不可能だと

 

思い知り

軍事力増強に努め

 

倒幕運動へと

 

転換していきます

 

「赤間神宮」まで

 

やってきました

壇ノ浦の合戦に敗れ

 

わずか8歳という幼さで

 

亡くなった

 

安徳天皇を

 

祀る神社

平清盛の妻二位尼は

 

わが子

 

安徳天皇を抱えて

 

入水する際

 

「海の中にも都はございます」と

壇ノ浦を

 

見守るように建つ

 

赤間神宮は

 

関門海峡のシンボルです

 

 

 

赤間神社の

 

すぐ隣にあるのが

 

ふぐ料理で有名な

 

「春帆楼」

明治28年

 

「日清講和条約」は

 

ここで行われました

朝鮮半島の

 

権益をめぐり

 

日本と清国は

 

開戦

 

日清戦争です

戦況は日本軍の

 

圧倒的優位に進み

 

清国は

 

講和の打診を

 

始めます

清国側代表は

 

李鴻章

 

日本側は

 

伊藤博文 陸奥宗光

伊藤と陸奥

 

二人が

 

着座した椅子

源平合戦 幕末動乱 日清戦争 

 

下関は

 

日本の歴史における

 

大きな転換点の

 

大舞台でした

 

いやあ

 

旅はほんとにおもしろい!