「東一口」探索サイクリング | bamboohouse-masterのブログ

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マスターの気まぐれ写真日記

春の陽気に誘われ

 

サイクリング

東高瀬川の

 

土手を

 

南に走ります

 

 

 

 

宇治川まで

 

来ました

 

平安時代

 

都の南には

 

広大な湖がありました

 

「巨椋池」です

豊臣秀吉の時代

 

伏見城の築城と合わせて

 

宇治川を伏見城下に迂回

 

巨椋池の各所に

 

堤防を築き

 

河川を分離

 

 宇治川と巨椋池の

 

流出口としたのが

 

ここ「一口」でした

難読地名でおなじみ

 

「東一口」です

 

さぁ~て読めますか?

 

「ひがしいもあらい」

 

と読みます

 

 

両側を川に挟まれ

 

細長く伸びた高台に

 

古い町並みが

 

続いています

 

どちらの家も

 

石垣を積みあげ

 

その上に

 

立っています

 

琵琶湖から

 

宇治川

 

巨椋池へと

 

流れ込んだ水は

 

巨椋池の出口である

 

一口を

 

何度も水没させたのでしょう

水害の度に

 

家や蔵は

 

少しでも高い位置へと

ここは

 

他では見られない

 

特異な街並みを

 

形成しています

前川と古川が

 

集落の両側を

 

取り囲んでいて

 

集落の幅は

 

最大でも

 

わずか100メートルほど

要塞都市のようで

 

江戸時代の形態が

 

そのまま残っています

 

「山田家住宅」へ

 

やってきました

東一口村は

 

後鳥羽上皇の時代

 

天皇から

 

特権的な漁業権を

 

与えられていました

巨椋池漁業の

 

総帥として君臨していたのが

 

大庄屋であった「山田家」

 

それにしても

 

立派な門構えだ!

 

巨椋池は

 

昭和になって

 

完全に干拓され

 

広大な湖の面影は

 

現在はありません

なのに

 

800年前に

 

与えられた漁業権

 

その繁栄が

 

今も

 

街並みに残っている

いやあ~

 

実に面白い