淀水路河津桜ウォーキング№1 | bamboohouse-masterのブログ

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マスターの気まぐれ写真日記

雨の中

 

ウォーキング仲間

 

「チーム6.5マイル」

 

7人が集合

京阪淀駅から

 

歩き始めます

 

「淀小橋跡」

淀エリアは

 

京都伏見と大坂を結ぶ

 

街道のかなめにあって

 

淀小橋は

 

宇治川に架けられた

 

重要な橋でした

「唐人雁木跡」

「唐人」とは

 

朝鮮からの通信使

 

「雁木」は船着場の階段

 

通信使は

 

対馬から瀬戸内海を経て

 

大坂へ

 

大坂から川船に乗りかえ

 

淀川をのぼり

 

淀城下で上陸し

 

京都さらには江戸へ

 

至ったのだそう

「妙教寺」

ここには

 

豊臣秀吉が

 

側室茶々の産所として

 

築いた

 

「淀城」があった場所

 

ゆえに茶々は「淀殿」と

 

呼ばれました

 

「淀城跡」へ

 

やってきました

こちらの淀城は

 

江戸時代に

 

築かれた城です

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幕末の淀城には

 

明治維新を

 

決定づけた

 

ドラマがありました

大政奉還により

 

江戸幕府は朝廷に

 

政権を返上しました

しかし

 

依然として幕府が

 

実権を握っていたため

 

薩摩藩 長州藩は

 

王政復古の大号令を掲げ

 

新政府を樹立します

旧幕府軍は大坂城より進軍

 

「鳥羽伏見の戦い」となり

 

最大の激戦地になったのが

 

「淀の千両松」

新政府軍が

 

「錦の御旗」を掲げると

 

旧幕府軍全体が動揺

 

新選組も淀方面へ退きます

 

なぜなら「錦の御旗」とは

 

朝廷の象徴となる旗

 

逆らうということは

 

朝敵になることを

 

意味していたのです

勝敗を決定づけたのが

 

「淀城」です

淀城は幕府の要職

 

老中稲葉正邦が城主

 

旧幕府軍は味方と信じて

 

逃げ込もうとしますが

 

なんと淀城は

 

固く城門を閉ざして

 

旧幕府軍を拒絶

旧幕府軍の敗北が

 

決定的になったのです

徳川慶喜の

 

江戸幕府にすれば

 

まさかまさかの

 

展開ですよね

淀エリアは

 

150年前

 

日本の歴史が

 

大転換した

 

場所なんです