織田信長を討った
本能寺の変は
日本の政治史上の
一大事件だが
細川藤孝・忠興父子にとっても
家名存続の是非にかかわる
重大事だった
特別な関係にあったからである
事変の張本人光秀の娘玉が
忠興の妻であるという
つまり
光秀と忠興は
義理の親子関係だったのだ
事変後まもなく
光秀から
藤孝親子に
救援加勢を頼む手紙が届く
意に反して
色好い返事がもらえなかった
光秀が
なんとか
説得しようと
情に訴え
焦燥に駆らた様子が
文面から伺がえる
藤孝・忠興親子は
光秀からの
重ねての助勢依頼を
はねつけ
秀吉との連絡を密にし
信長の弔い合戦である
山崎の戦に
秀吉側として参戦し
勝利する