不死身の町「伏見」 | bamboohouse-masterのブログ

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マスターの気まぐれ写真日記

城下町 


水運のターミナル 


帝国陸軍の拠点


酒造りの町など


伏見は


いろいろな顔を持つが


それは


伏見がたどった


歴史でもある


伏見は


秀吉や家康といった


他所からやって来た人が


町をつくりました


そして


たびたび動乱にみまわれ


そのたび


生まれ変わり


繁栄してきた


いわば


「不死身の町」


  

はじめ


豊臣秀吉が


伏見城と城下町を構築


宇治川から派流を引いて


伏見港を開き


水運を整備しました


秀吉の死後


慶長の戦いで


町は大半を


焼き尽くされます


関ヶ原の戦いの後


家康が


伏見城を再建し


徳川の支配になります


しかしその徳川も


三代家光が


伏見を引き払って


江戸に幕府を移したため


武家屋敷は衰亡


城下町の町人も離散しました


ここで


一度は滅びたかに見えた


伏見の町も


運河高瀬川と淀川が


伏見港でつながったことで


大阪と京都を結ぶ


水運ターミナル都市として


復活


このような変遷は


明治維新を経てもなお


浮き沈みを繰り返しつつ


不死身の町であり続けます

 
明治新政府は


鳥羽伏見の戦いで


幕を開けます


この戦いで


伏見の町は


再び戦火を浴び


市街地の大半が焼失


さらにその後


近代化が進むと


鉄道による


大量輸送とスピード化で


水運ターミナルとしての


伏見の機能は低下


明治の末期には


ほぼ消滅状態に


ところが明治後期に


大きな変化が訪れます


帝国陸軍第十六師団の駐屯です


ごくわずかな家並みしかなかった


深草村に


一挙に数千人の軍人が常駐


その範囲は


当時の伏見の市街地に


匹敵する広さ


富国強兵政策のため


ひっそりしていた農村が突然


帝国陸軍の拠点としての町に


変容した


深草は大消費地として


活気を取り戻す


第二次世界大戦後


広大な陸軍跡地は


聖母女学院 龍谷大学 


京都教育大学 京都教育附属高校


青少年科学センターなどの施設になり


深草は


一大教育ゾーンに


ほかにも


国立病院 伏見税務署


公営住宅群の多くは


陸軍の施設の跡地に


建設されたものである


小学生の頃はよく


工兵隊グランドで野球をしたものだし


公営住宅はモダンで


そこに住む友人を


うらやましく思ったものだ


今もその名が残る


「師団街道」「第一軍道」「工兵隊」など


日々の暮らしの中にとけこんでしまって


意識しないが


こうした歴史を知って


自分の町を眺めると


住み慣れた町の


印象が変わって


おもしろい