「太宰治の津軽と私の津軽」から | bamboohouse-masterのブログ

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マスターの気まぐれ写真日記

根の国紀行


「太宰治の津軽と私の津軽」より


「津軽を訪れるのは


何年ぶりだろう


私にとって


津軽という土地は


なぜか


自分の内部にある重みをもって


存在し続ける土地だった


妙な話だが


私はこの七、八年の間


いつも津軽のことを


大事に思ってきた


九州の築後の生まれで


少年時代を植民地で過ごした


私にとって


津軽は全く縁もゆかりもない


他人の国にすぎない


私はこれまでにたった一度しか


その土地を訪れたことがなかったし


それも短い夏の数日を


ぼんやり送っただけなのだ


それにもかかわらず私にとって


津軽は他人の土地ではなかった


思うにそれはたった一度だけ


前に訪れた津軽の印象が


余りにも強く


私の内部に彫り込まれて


しまったせいではないだろうか」

47年前に書かれた


五木寛之さんの紀行文から


拾わせてもらった


エッセイは


長文で


精神的に


もっと奥の深い


内容なのだが


私が


津軽に行って感じた


不思議な感情を


五木さんが


代弁してくれている


そんな気にさせられた


このエッセイで


津軽の旅が


私にとって


より印象深いものになったことは


間違いない


偶然の出会い


とてもうれしい