“Compassion for oneself, especially for the wounded or painful parts of oneself, increases our kindness towards others.”(Positive News US edition No.26, 記事 Feeding Demons for Healing より)
『自分自身のことを思い遣る、とくに傷つき、痛んだ自分自身に対して思い遣ることによって、私たちは他人(ひと)に対してももっと優しくなれる。』
このような言葉に出会いました。
私の内に生じてくる怒りや恐れ、無力感、ジェラシーなど、恐ろしい、卑しい、厭らしい、汚らわしいなどどのような感情をもつ自分にも当てはまることだろうと思います。
この頃ブログをサボっています
昨日なんかひどいもので、よく分からないまま、なうへの投稿をブログに横 流し?できる設定にしました
なうっていうのも、今一よく分からないけど・・・ 独り言??
ま、いいか~
で、本日、月1回の主治医の診察でした
転移を調べる胸のレントゲン、結果はシロでした、よかった~(ホッとする)
左胸部の縫った跡に小さな腫瘤(しゅりゅう)を触れるので、エコーで診てもらったところ
5mmくらいの塊で、縫った後の瘢痕かもしれず、まずは大丈夫だろうとのこと
詳細には、次回RIシンチではっきりするとのことでした
久々に病院へ行って、手術をした(いのちを預けた)病院という場所は、不思議と何だかホッとしました
普段の生活に戻って、ちょっと調子に乗り過ぎているのかもしれません
注意せねば。。。
昨日の夜のことでした
夜、仕事場に一人で、忘れ物を取りに行った時のこと
夜の待合室は暗く、そこを通って歩いた時
背筋がゾーッとなりました
暗闇が何故かとても怖かった。
途中で、あんまり気色悪いんで引き返しました
で、そこで、この頃私が意識していることを、期せずして実験したんです
意識(気)が、見えないお化けのような漠然とした対象に向くから、
悪循環的に怖いという感覚が倍増していくのだと思い直し、
2回目にチャレンジしたとき、私は、「お化け」の方向にではなく、
自分の心臓の辺りに感じる、怖がっている自分自身(怖がりデーモンと名付けた)の方に
私の意識(気)を向けるよう努力しました。
分からない何かに怯えている子どもを、身を挺して守ってやる親のような気概を持って。
それは効果がありました。
私の胸の辺りの「怖がりデーモン」は、最早この時にはパニクりませんでした。
このように、私の怖がりデーモンは、私がケアをしてやらずに、ただ怖がるなと命じても、
怖がることを止めないばかりか、かえって一層怖さをつのらせていくようでした。
しかし、怖がりデーモンのことを、私が身をもって守り、支えてやろうと覚悟を決めると、
怖がりデーモンは落着きを保つことができ、怖さのパニック的悪循環のスイッチは入らなかったように思います。
この体験と似た体験が、私のがん手術の折にあったことを覚えています
参照 ⇒ http://ameblo.jp/bambo/entry-10426871596.html#main
去年の11月19日午前9時、中央手術室の手術台に横たわり、いざ麻酔開始という土壇場
その時に聞こえた私の中の声、
それは「助けて」じゃなく、「頑張れ、おれ」だった、あの体験。
この無力なオレを守ってくれるものが、このオレ自身の中にあるんだ
そう感じる体験でした。