カーン

R1のゴングが鳴った


颯爽とオレは

リングに躍り出る


軽妙なフットワークと

鍛えられた

オレの刃金のボディーの

しなやかな動きによって

相手が繰り出す

パンチは

空を切る


R4、R5

まだまだオレっちの

鍛え抜かれた

体力はバリバリ余裕だぜ


し、しかし、だ

R8、R9あたりになってくると

さすがのオレも

ちょっとバテ気味


気持ちと身体の

動きがずれてきやがる


思うように身体が動かない


とうとう相手の繰り出すボディブローが

決まりだす


R11の2分過ぎ

ついにオレは

コーナーに追い詰められ

ワンツーの連打を浴びる

ドス、ドス

カーン

ゴングに救われた・・・


そして、あのR12だ

(続く)



久々に日本の首都、東京へ。

某学会のために一泊で

行ってきました。


学会終了後

不忍池の傍の

横山大観先生の

ご自宅を訪れてきました。

2回目、です


今回知ったのは

大観先生が

酒豪であったことと

明治元年生まれであったこと

でした

2階の4枚の屏風に描かれた

古梅の樹の絵が

印象的でした

ひとの眼を見るようにせえよ とか したぁない とか

eye contact とか

眼は心の窓 とか いうけど

眼と眼が 話すことが あんのやなぁと

思たことが あったんや


自分の眼が 相手の眼をみる

眼差しというやつやね

一呼吸・・・二呼吸・・・三呼吸

そしたら 相手の方の目に ジンワリと

泪が滲んできたんや

そしたら なんとも言えん

切ない感じが 伝わってきてねぇ

こっちの目頭がジンワリとしてくる


その時 やね

眼と眼が

話しおうてる そう感じたんは


話をするのは なにも言葉だけやない

無言の対話

これやね

日本列島を低気圧が通過中

とかで

春を告げるかのような嵐の晩


今回のbamboのブログは

(bambo氏は過去に数回yahooとかでブログを開いたが

モチベーションが持続せず、閉鎖あるいは放置となった)

何故か、1ヶ月は続いている  

そして、ついに読者総数

なんと

2人に

達したのだ


貴重な読者さん達に

ただただ感謝、だ


今回のブログの成功?の秘密

それはもちろん

中学校の同窓会にまつわる

Eちゃんの死を無駄にしてはいけない

その想い、からだ


ぼくはこれまで

自分の中ばかりに

生きることの必然性を

求めてきた節がある

そうして、その意味を見出せず

虚無的になったりしたが

生きる意味は

自分の中ばかりではない

天が命ずるもの*      *この点はもう少し丁寧に、改めて書こうと思います

としても

あったのだと

いまは思う


とうとう購入しましたよ

10穴ハーモニカ


中学の同窓会で久々にやっさんに会い

彼がハーモニカを吹きながら米作りをしていると

聞いて

しかも、CDまで出しているのを聞かせてもらって


それが、まぁいい音色なんですよ

田舎の景色が眼前に広がる感じ

匂いまでしてきそうでね


でも、この10穴実際に手にしてみて

なかなか難しいわ

小学生並みに

さっそくプカプカやってますけど


やっさんのようにはいきませんね

当たり前だけど、ね


これから末永くよろしく

ぼくのメジャーボーイくん

大事な気持ち、忘れてはいかんね

読者のないブログだけど、いや無いからこそ

こうして伸び伸びと?語れる


Eちゃんの死

never forget だ


死にたいとか思ったことも

ある

でも

Eちゃんはどんなに悔しかっただろう

どれほど悲しかっただろう

そして死んでしまった


それを忘れては

いけないと思う


この診療所には

そのような生き辛さを抱えて

沢山の人がやって来る


ぼくがしなければならないこと

それは何なのか

それを忘れるな



大阪の今道先生が最後に書かれた本で紹介されていた

フランクル先生の「態度価値」

参考HP:http://www.geocities.co.jp/Milkyway/4017/meigen/frankl.html


我々がそれに対して取る態度によって生じる価値

「不運な出来事」に対してとる態度

それを単に不運というのか、別のものと見るのか


僕は今回、僕が中学のときにいじめたEちゃん

20歳で赤ん坊を道ずれに亡くなった彼女の死を無駄にしてはいかん

それを強く肝に銘じていたら


不利な立場にいる人たちを支援する仕事をしている

自分の態度の中にある曖昧さに、あらためて気づかされ

それにちゃんと向き合っていこうと

思うようになった

何のために生きるのか

こうゆう発想、してこなかった

したくなかった

何かのため、何かに自分を服従させることを

嫌っていたから


でも、いま、Eちゃんへの済まなさから

Eちゃんに何か罪滅ぼしが、今更だけど

したいという気持ちを忘れてはいけないと

思っている


僕は、もうだいぶ長い年月、医者として働いているが、

考えてみれば、僕が理解し助けになるべき人たちの多くは

Eちゃんのように、生きていく条件が不利な人たちなのだ


今は亡きEちゃんのために、Eちゃんのような苦しみを背負った人の

ために働くことが、僕の生きる目的であったのだ


それは生かしてこなかった

自分の一部を大事にすることとも

リンクしている、と思う


生きる目的

それは、若いころには

感じられなかった

ものだった


Eちゃんの死を

無駄にしてはいけない