皆さま、お早うござんす、こんにちは、今晩は
当地、本日も晴天、薄雲が東の空付近でオレンジ色に光っています
「お早う」、生き物達の声が聞こえて来ます
朝から理屈っぽい感じで、恐縮ですが
昨日の「ヒエロ何とか」の続き
私の興味は、哲学や宗教学的興味ではなく
なぜあんな夢(鍵と文鳥)を見たんだろう、という点です
たまたま、にしては出来すぎています
あの夢を見させたのは、私のなかの一体誰なんだろう、
一人の俗人が、どうしてあのような高尚?な夢を見るのかということなんです
私だけではないでしょう、
訳の分からないのが、通常の夢の相場だけど、
時と場合によっては、非常にストーリー性のある
意味深いものが登場する
話は少し逸れますが
私の眼差しの中、いや、奥に、亡くなった父の眼差しがある??
そう思うこともあるんです
私が見ているだけでなく、親父も私の眼差しを通して世界を見ている、楽しんでいる?
そんな感じが、時にして、親父との繋がりを想像することがあります
「ヒエロ何とか」は、この私の眼差しの奥の奥に、ちっぽけで弱い私を支える
大きな、あの老木のような、聖なる何かが“おられる”、そういうイメージを持つのです
もちろん、どなたの中にも、その「何か」がおられる、そう想うんです
そして、その智恵が示唆してくれること
聖体?の前で拘りを放棄すること
その喪失の辛さの後に、失ったものとの出会い直し、古くなったものとの新たな出会い、
いのちの再生が生じるのだということ
あの夢はそんな智恵を教えてくれている
そう想うと、何とはなく、しっくり来るんです。
さあ、今日も頼らせてもらっています
有難う、感謝です。