またまた我が家のきなちゃん登場

朝ごはんをやる前のおねだりの折の一瞬のポーズ

きなちゃんの今朝

きょうは何となく俺はセンチメンタルな?感じ

嫌な感じじゃないが、胸に感動ではなく、こみ上げそうな感覚がある

それは悲しみや懐かしみの感じに似ている


最近例の「深い河」のビデオ版を見たことも

その一因かも知れないが・・・


見ている主体は誰か

何が(誰が)見ているのか

ギラギラした生の本能が、か

私なのか

より深い私を超えた何者、なのか

私は誰なのかとという命題に言い換えることもできるだろう

僕は、今は周作先生の感性が好きだ

先生は確か、「眼差し」という言葉を使われていたと思う

私の眼差しに、いろいろなものの眼差しが重なってイメージされるのだ

悲しみと情けを湛えた鳥の、犬の、手を取り合う二人の

そして踏み絵のキリストの、それらの眼差しの重なり合い、だ


秋の爽やかな風に乗って

きょうもおんなじ調子で

それがどうしたと唄う

山鳩の鳴声が

聞こえているなあ