お早うございます。
暫く
ご無沙汰してしまいました。
少し時間が出来たので
レジスタンスを
ちょっと前に
進めようと思います。
以前予告した
日本国内の
「差別」
について、
今回から暫く
その件に付いて
色んな角度から
お話し出来ればな、
と
考えて居ます。
コレは皆さんも
ぐっ、と
考える内容になるかと思います。
意味不明含めて(笑)
と言うか、
一緒に考えて下さる事に
期待して(笑)
ドゾ
宜しくお願い致します。
今回も
学術的な物言いはしません、
ですが
資料や史実にあるものを
きちんと参考にしています。
幾分かは(笑)
本来ならばソースを
提示すべきでしょうが
レジスタンスでは
出来るだけしません(笑)
不親切を貫きます!
ふふ
何故ならば
「ご自身で調べて頂きたい」
と思うからです。
網の目(ネット)の中には
不確かな情報がごまんと
在りますが、
その中から識りたい真実を導き出して貰いたいのです。
アドバイスとしては
「真実の」とか
タイトルしてるのは
あんまり信用出来ません。
(笑)
私も
何度も何度も
引っ掛かりましたが
その真実は
裏に宗教団体や
史実をねじ曲げたい
組織の臭いが
漂って来たりして
危ういものも多いです。
ですが
そのような事も含めて
無限の
網の目の隙間から
自分なりの答えを感じ
確かと思える事を
掴んだら、
今度は、ご自身から
自分なりの手法で
発信して貰えると
嬉しいし、
何より心強いです。
紛れもなく
それがレジスタンスの
一助となるのですから。
さて、
本題に入ります。
私達の国の中で
差別と言うと?
「被差別部落」
と言う文字が浮かんで来ます。
昔学校で学んだ
士農工商
と言う、
江戸時代の社会の主要構成「四民」とも呼ばれるものです。
これは
中華思想の根幹にある
儒教の考え方が
日本に輸入されて来たものとだとも言われて居ます。
ですが
その考え方は
日本人にはそぐわない
理解し難いものなので
只、
職分的なものであって
当時の政治下に於いて
その言葉で何かが
大きく変わったとか
そんな事実はないように思います。
確かに
政治的に都合の良い区分はあったとも言えますが、
それが、
「人々の不平不満を逸らせる為に利用された」
制度であったのか?
私としては
首を傾げてしまいます。
実際、
士農工商が職業カーストであったのなら
武士から順に
裕福であるはずが
実際は
反対の
商工農士の順で
裕福であった事は
当時の史実を見ても
明らかなものです。
近年では何故か
身分制度を意味すると
解釈され、
士農工商、更に
穢多、非人といった
四民(四身分)外の職業を
「階級下層」とし
差別して来た。
そんな考え方です。
しかし
ならば不思議な下層市民です。
斃牛馬処理や
皮革の加工の免許を与えられて、
奉行所や刑場など
今で言う、
警察署や法廷等々、
そんな所へ仕事で
立ち入る訳でしょ?
驚きますよね。
今のホームレスの人が
そんな場所へ
易々と立ち入れるのか?
時代背景が違うと言え、
ちょっと
信じられません。
もう、
こういう所に
引っ掛かると駄目なんす
わたし(笑)
ずっと以前から
疑問に思う事が
色々あって
自身の民俗史の
研究の中でも
この辺りは
実に気になって
ずっと
其処を抉って来たのだけど
肝心な所で扉が閉まる。
そんな感じで
答えが導けない。
殆どオカルト(笑)
実際には、
地域地方によって
異なる見識だったり
歴史資料を見ても
罪人となって
非人になる場合もあるし
職業的なもので
なる場合もある。
しかし
不思議に思うのは、
元来、
この人たちは
どこから来たのか?
と言う事も引っ掛かる。
この件も
非常に曖昧で
之も地方によって
異なり
コレ!と断定したものが
実際にはなくて
「恐らくこうであろう」
と言うのが
この四民外とされる人たちの出自。
地方により
この人達の仕事が
微妙に違うのも
興味が湧く。
ある地方では
非常に畏れられる
シャーマン(霊能力者)が
いらっしゃる。
ある地方では
凄腕の剣術者が
いらっしゃる。
時には、
この部落の出身の子供を
武士が養子にとる。
ん???
私には
益々訳が解りません(笑)
現代の解釈で
穢れ多き人とするなら
その地域の者を
所謂、
エリート層が
養子にするものでしょうか?
そして
江戸の町でも
この層の人々の暮らしは
武士の質素な暮らしより
贅沢でした。
時には一揆の抑圧に
力を発揮し、
今で言う警察の助手を
担ったり、
公共事業インフラの
土木作業も手伝い、
刑場では
看守の役割や刑場の
場面に立ち合います。
当時、
処刑前に
自身の落とされた首を
綺麗に洗って貰う為に
そっと
立ち会いの非人に
罪人がお金を渡すのが
慣わしだったようです。
江戸の刑罰の
専門書簡には
大抵そのような事が
書かれて居ますね。
墓守の仕事にしても
どのような身分の者も
非人とされた人達へ
お願いしなければ
死者を埋葬出来ません。
これらの仕事には
必ず「現場」と「人」
がなければ
上手くは
回りません。
江戸の町の美しさは
当時
諸外国人の目にも
高く評価されていました。
一様に
乞食のような者を
見ない。
と書かれて居ます。
恐らく、
この四身職外の人を
見ても外国人には
ちょっと貧しい人にしか
見えなかったのかな?
と考える事も
出来ます。
道端に倒れて亡くなった人を乞食だと思う外国人も居ました。
それでも、
諸外国や自分の国より
日本は
はるかにマシだと
記して居ます。
インドのカースト制度も
同様に
最高層と思われている
層の人の方が
現実的には貧しいのは
果たして、
どういう事なのか?
GHQも
驚きを隠さなかった、
戦後、政府重鎮の
家宅調べでは
家内に贅沢な調度など
一切なく
僅かな家財と金銭のみ
之は一般的な
庶民生活者の方が
贅沢な
暮らしぶりであった。
と言ったその事と
共通する気がしますね。
この国内の差別には
私の現時点の想像で考えると、
幾つかの
共通点が見えて居るのですが、
それを言えば
例えば
インディアンの言葉を借りると
「白人にそんな事を言っては駄目ですよ。彼らは目の前に起こる事しか信じない。お金になるかならないか、それしか見ようとしない。」
そういう
感覚的な事なので
ヒントとして(笑)
史実には
絶対に遺してはならないような、
世間には、
特に今の世の中の
前提では
考えるに及ばぬ事が
隠されて居る事が
ある、
とわたしには
思えて仕方がないのです。
神様には触れないが
人間には出来る事、
人間には出来るけど
誰もが
出来る訳ではない。
けれど
人の世に
無くてはならないもの。
誰かがしなくては
ならないもの。
人が近寄り難いもの。
人が近寄り難い
と言う事は
世間と交わり難いもの。
忌み嫌うものと
してでも、
絶対に
消滅させては
ならないもの。
必ず生き伸びる為に
手段(職)を与えながら
見せながら
隠す。
世間(社会)の
交わり薄くし
そうした事で
温存(守られる)出来る唯一のものがあるとしたら、
皆さんは
何を想像出来ますか?
私は、
江戸時代の
この四職外の人々の
当時の文献や
文献に添えられた絵を見て
「あ、」
と思いました。
裸足で
麻の衣服に
麻紐を腰に巻いて居ます。
麻と言えば
昔は祭事には麻が必需でしたね。
麻紐は神社のしめ縄に
垂れて居るのを
ご存知の方は沢山居るでしょう。
その麻衣しか
着られないとする人
すこし
ぎこちないですが(笑)
何となく
「う…‥ぅ-ん、」
って頭を抱え込んで
固まりません?(笑)
実はわたし、
数年コレで悶えてます
(笑)
少しばかりは
調査をしたのですよ。
が、
無念なのは
口伝承では様々な事が
分かるのですが
文献には残っておらず、
まるで
「まゆごろうの大火」
By君の名は
って感じなのです。
つまり、
まゆごろうさんが
出した火事で
水速神社が焼失、
水速神社の伝統行事の形式はのこって居るけど、
この神事の「意味」は
解らない状態(笑)
解ります?(笑)
なので、
私が取材した地域では
「死者が出た時には必ず近くの部落から人が来て弔う」
慣わしや
ある地域には
鬼門の場所には
部落の人の
代々のお屋敷がある。
(立派なお屋敷です)
不思議なのは
何故か
ご近所の方との交流はなく、
直接的な取材は
「失礼」
になるのを恐れて、
出来ませんでした。
大阪にも
ごく身近に
その地域はあるのですが、
所謂、
都会の中では
私の感じた所では
もはや、
純粋なその地域では在りません。
大正11年3月3日
水平社宣言によって
日本最初の
「人権宣言」
と言う形から始まり、
宣言によって
「階級犠牲者と」
決定づけられ
一際
近隣諸国(共産圏)の
注目を浴びて
次にその立場を利用し尽くされ、
結果的に
戦後在日と共闘して
激化させた
この利権運動に
まんまと乗じ
民族の純潔までも
破壊されて来たように感じます。
もしかしたら
GHQは
何かを分かっていたのかも…
とさえ思います。
そして
結局は、
利権を剥奪されれば
残るものは
一体何だと言うのでしょう。
確かに、
理不尽で、
非情に苦しい役目を担って産まれた事は
堪え難い事でしょう。
私も
この被差別部落
と言うのは、どんな理由があっても、地球上から消滅すべき問題だと思います。
ですが、
この部落問題の根幹にあるのは
昔のソレとは別物の
利権が潜んで居るから、
消滅を望んで居るのです。
昔のその地域の人たちは
自然と会話のできた人達です。
解りやすく言えば
山のその人達は
インディアンで言えば
チェロキー族であったし
川のそばのその人達は
クリーク族で
あったと思う。
自然のものしか身に着けず、
当時動物の殺生を
許された唯一の人達。
人の生死に関わる仕事、
命を癒す役割を持ち
汚物を肥料に変える
大地の生命にも
関わった人達
百姓だけでは
畑は出来ず、
役人だけでは
政治は出来ず
その身近な全てを
携わって来た事を
白人に虐げられた
インディアンは
それこそを誇りとしたが、
誇りと出来なかった人達を
同じ日本人としては
残念でならない。
私としては、
今も、執拗に
人権問題としたがる
その内側の悪意を
殆どの人は
気付き始めたが、
どうしても
訴えたいのは
昔々
その地域の御先祖は
確かに
理不尽な下にあったかも知れないけど、
それでも
誰かがやらねば
成らない事を
やって来た人達は
心に錦を持つ人です。
人の為になる
人がやりたがらない事を
仕事として出来るのは
神様の視点では
恵まれた人かも
知れません。
日本人の胸には
2つの神様が宿っています。
1つは臓器である
心(神)臓
肉体として宿った時から
常に一緒の体を
守ってくれる神。
もう一つは
良心(神)。
肉体とは別の
御先祖から受け継がれた
目に見えない神
そそ、
インディアンの
言葉を借りると
一つ目の心は
体の心(ボディー・マインド)
体がちゃんと
生き続けるようにと
働く心。
そしてもう一つは、
霊の心(スピリット・マインド)
やっぱり
自然信仰の
インディアンと
日本人は似て居ますね。
日本の部落と呼ばれる
地域の人達への
私のぼやっとした見解は
お終い(笑)
次回は
その人達に
スピリットを取り戻す
為の課題を考察します。
では
読者をおきざりのまま
とっとと進むぜっ(笑)
こうご期待!!
ほなね♪
(笑)
暫く
ご無沙汰してしまいました。
少し時間が出来たので
レジスタンスを
ちょっと前に
進めようと思います。
以前予告した
日本国内の
「差別」
について、
今回から暫く
その件に付いて
色んな角度から
お話し出来ればな、
と
考えて居ます。
コレは皆さんも
ぐっ、と
考える内容になるかと思います。
意味不明含めて(笑)
と言うか、
一緒に考えて下さる事に
期待して(笑)
ドゾ
宜しくお願い致します。
今回も
学術的な物言いはしません、
ですが
資料や史実にあるものを
きちんと参考にしています。
幾分かは(笑)
本来ならばソースを
提示すべきでしょうが
レジスタンスでは
出来るだけしません(笑)
不親切を貫きます!
ふふ
何故ならば
「ご自身で調べて頂きたい」
と思うからです。
網の目(ネット)の中には
不確かな情報がごまんと
在りますが、
その中から識りたい真実を導き出して貰いたいのです。
アドバイスとしては
「真実の」とか
タイトルしてるのは
あんまり信用出来ません。
(笑)
私も
何度も何度も
引っ掛かりましたが
その真実は
裏に宗教団体や
史実をねじ曲げたい
組織の臭いが
漂って来たりして
危ういものも多いです。
ですが
そのような事も含めて
無限の
網の目の隙間から
自分なりの答えを感じ
確かと思える事を
掴んだら、
今度は、ご自身から
自分なりの手法で
発信して貰えると
嬉しいし、
何より心強いです。
紛れもなく
それがレジスタンスの
一助となるのですから。
さて、
本題に入ります。
私達の国の中で
差別と言うと?
「被差別部落」
と言う文字が浮かんで来ます。
昔学校で学んだ
士農工商
と言う、
江戸時代の社会の主要構成「四民」とも呼ばれるものです。
これは
中華思想の根幹にある
儒教の考え方が
日本に輸入されて来たものとだとも言われて居ます。
ですが
その考え方は
日本人にはそぐわない
理解し難いものなので
只、
職分的なものであって
当時の政治下に於いて
その言葉で何かが
大きく変わったとか
そんな事実はないように思います。
確かに
政治的に都合の良い区分はあったとも言えますが、
それが、
「人々の不平不満を逸らせる為に利用された」
制度であったのか?
私としては
首を傾げてしまいます。
実際、
士農工商が職業カーストであったのなら
武士から順に
裕福であるはずが
実際は
反対の
商工農士の順で
裕福であった事は
当時の史実を見ても
明らかなものです。
近年では何故か
身分制度を意味すると
解釈され、
士農工商、更に
穢多、非人といった
四民(四身分)外の職業を
「階級下層」とし
差別して来た。
そんな考え方です。
しかし
ならば不思議な下層市民です。
斃牛馬処理や
皮革の加工の免許を与えられて、
奉行所や刑場など
今で言う、
警察署や法廷等々、
そんな所へ仕事で
立ち入る訳でしょ?
驚きますよね。
今のホームレスの人が
そんな場所へ
易々と立ち入れるのか?
時代背景が違うと言え、
ちょっと
信じられません。
もう、
こういう所に
引っ掛かると駄目なんす
わたし(笑)
ずっと以前から
疑問に思う事が
色々あって
自身の民俗史の
研究の中でも
この辺りは
実に気になって
ずっと
其処を抉って来たのだけど
肝心な所で扉が閉まる。
そんな感じで
答えが導けない。
殆どオカルト(笑)
実際には、
地域地方によって
異なる見識だったり
歴史資料を見ても
罪人となって
非人になる場合もあるし
職業的なもので
なる場合もある。
しかし
不思議に思うのは、
元来、
この人たちは
どこから来たのか?
と言う事も引っ掛かる。
この件も
非常に曖昧で
之も地方によって
異なり
コレ!と断定したものが
実際にはなくて
「恐らくこうであろう」
と言うのが
この四民外とされる人たちの出自。
地方により
この人達の仕事が
微妙に違うのも
興味が湧く。
ある地方では
非常に畏れられる
シャーマン(霊能力者)が
いらっしゃる。
ある地方では
凄腕の剣術者が
いらっしゃる。
時には、
この部落の出身の子供を
武士が養子にとる。
ん???
私には
益々訳が解りません(笑)
現代の解釈で
穢れ多き人とするなら
その地域の者を
所謂、
エリート層が
養子にするものでしょうか?
そして
江戸の町でも
この層の人々の暮らしは
武士の質素な暮らしより
贅沢でした。
時には一揆の抑圧に
力を発揮し、
今で言う警察の助手を
担ったり、
公共事業インフラの
土木作業も手伝い、
刑場では
看守の役割や刑場の
場面に立ち合います。
当時、
処刑前に
自身の落とされた首を
綺麗に洗って貰う為に
そっと
立ち会いの非人に
罪人がお金を渡すのが
慣わしだったようです。
江戸の刑罰の
専門書簡には
大抵そのような事が
書かれて居ますね。
墓守の仕事にしても
どのような身分の者も
非人とされた人達へ
お願いしなければ
死者を埋葬出来ません。
これらの仕事には
必ず「現場」と「人」
がなければ
上手くは
回りません。
江戸の町の美しさは
当時
諸外国人の目にも
高く評価されていました。
一様に
乞食のような者を
見ない。
と書かれて居ます。
恐らく、
この四身職外の人を
見ても外国人には
ちょっと貧しい人にしか
見えなかったのかな?
と考える事も
出来ます。
道端に倒れて亡くなった人を乞食だと思う外国人も居ました。
それでも、
諸外国や自分の国より
日本は
はるかにマシだと
記して居ます。
インドのカースト制度も
同様に
最高層と思われている
層の人の方が
現実的には貧しいのは
果たして、
どういう事なのか?
GHQも
驚きを隠さなかった、
戦後、政府重鎮の
家宅調べでは
家内に贅沢な調度など
一切なく
僅かな家財と金銭のみ
之は一般的な
庶民生活者の方が
贅沢な
暮らしぶりであった。
と言ったその事と
共通する気がしますね。
この国内の差別には
私の現時点の想像で考えると、
幾つかの
共通点が見えて居るのですが、
それを言えば
例えば
インディアンの言葉を借りると
「白人にそんな事を言っては駄目ですよ。彼らは目の前に起こる事しか信じない。お金になるかならないか、それしか見ようとしない。」
そういう
感覚的な事なので
ヒントとして(笑)
史実には
絶対に遺してはならないような、
世間には、
特に今の世の中の
前提では
考えるに及ばぬ事が
隠されて居る事が
ある、
とわたしには
思えて仕方がないのです。
神様には触れないが
人間には出来る事、
人間には出来るけど
誰もが
出来る訳ではない。
けれど
人の世に
無くてはならないもの。
誰かがしなくては
ならないもの。
人が近寄り難いもの。
人が近寄り難い
と言う事は
世間と交わり難いもの。
忌み嫌うものと
してでも、
絶対に
消滅させては
ならないもの。
必ず生き伸びる為に
手段(職)を与えながら
見せながら
隠す。
世間(社会)の
交わり薄くし
そうした事で
温存(守られる)出来る唯一のものがあるとしたら、
皆さんは
何を想像出来ますか?
私は、
江戸時代の
この四職外の人々の
当時の文献や
文献に添えられた絵を見て
「あ、」
と思いました。
裸足で
麻の衣服に
麻紐を腰に巻いて居ます。
麻と言えば
昔は祭事には麻が必需でしたね。
麻紐は神社のしめ縄に
垂れて居るのを
ご存知の方は沢山居るでしょう。
その麻衣しか
着られないとする人
すこし
ぎこちないですが(笑)
何となく
「う…‥ぅ-ん、」
って頭を抱え込んで
固まりません?(笑)
実はわたし、
数年コレで悶えてます
(笑)
少しばかりは
調査をしたのですよ。
が、
無念なのは
口伝承では様々な事が
分かるのですが
文献には残っておらず、
まるで
「まゆごろうの大火」
By君の名は
って感じなのです。
つまり、
まゆごろうさんが
出した火事で
水速神社が焼失、
水速神社の伝統行事の形式はのこって居るけど、
この神事の「意味」は
解らない状態(笑)
解ります?(笑)
なので、
私が取材した地域では
「死者が出た時には必ず近くの部落から人が来て弔う」
慣わしや
ある地域には
鬼門の場所には
部落の人の
代々のお屋敷がある。
(立派なお屋敷です)
不思議なのは
何故か
ご近所の方との交流はなく、
直接的な取材は
「失礼」
になるのを恐れて、
出来ませんでした。
大阪にも
ごく身近に
その地域はあるのですが、
所謂、
都会の中では
私の感じた所では
もはや、
純粋なその地域では在りません。
大正11年3月3日
水平社宣言によって
日本最初の
「人権宣言」
と言う形から始まり、
宣言によって
「階級犠牲者と」
決定づけられ
一際
近隣諸国(共産圏)の
注目を浴びて
次にその立場を利用し尽くされ、
結果的に
戦後在日と共闘して
激化させた
この利権運動に
まんまと乗じ
民族の純潔までも
破壊されて来たように感じます。
もしかしたら
GHQは
何かを分かっていたのかも…
とさえ思います。
そして
結局は、
利権を剥奪されれば
残るものは
一体何だと言うのでしょう。
確かに、
理不尽で、
非情に苦しい役目を担って産まれた事は
堪え難い事でしょう。
私も
この被差別部落
と言うのは、どんな理由があっても、地球上から消滅すべき問題だと思います。
ですが、
この部落問題の根幹にあるのは
昔のソレとは別物の
利権が潜んで居るから、
消滅を望んで居るのです。
昔のその地域の人たちは
自然と会話のできた人達です。
解りやすく言えば
山のその人達は
インディアンで言えば
チェロキー族であったし
川のそばのその人達は
クリーク族で
あったと思う。
自然のものしか身に着けず、
当時動物の殺生を
許された唯一の人達。
人の生死に関わる仕事、
命を癒す役割を持ち
汚物を肥料に変える
大地の生命にも
関わった人達
百姓だけでは
畑は出来ず、
役人だけでは
政治は出来ず
その身近な全てを
携わって来た事を
白人に虐げられた
インディアンは
それこそを誇りとしたが、
誇りと出来なかった人達を
同じ日本人としては
残念でならない。
私としては、
今も、執拗に
人権問題としたがる
その内側の悪意を
殆どの人は
気付き始めたが、
どうしても
訴えたいのは
昔々
その地域の御先祖は
確かに
理不尽な下にあったかも知れないけど、
それでも
誰かがやらねば
成らない事を
やって来た人達は
心に錦を持つ人です。
人の為になる
人がやりたがらない事を
仕事として出来るのは
神様の視点では
恵まれた人かも
知れません。
日本人の胸には
2つの神様が宿っています。
1つは臓器である
心(神)臓
肉体として宿った時から
常に一緒の体を
守ってくれる神。
もう一つは
良心(神)。
肉体とは別の
御先祖から受け継がれた
目に見えない神
そそ、
インディアンの
言葉を借りると
一つ目の心は
体の心(ボディー・マインド)
体がちゃんと
生き続けるようにと
働く心。
そしてもう一つは、
霊の心(スピリット・マインド)
やっぱり
自然信仰の
インディアンと
日本人は似て居ますね。
日本の部落と呼ばれる
地域の人達への
私のぼやっとした見解は
お終い(笑)
次回は
その人達に
スピリットを取り戻す
為の課題を考察します。
では
読者をおきざりのまま
とっとと進むぜっ(笑)
こうご期待!!
ほなね♪
(笑)