前回のお話「アレルギーと溶血性貧血」
※私が生まれたのは40年ほど前のことです。今は元気に仕事しております。今はこの病気で余命を宣告されることもないと思います。
溶血性貧血は本当にひどく、少し歩いては休憩をしないと動けないほどでした。歩けないわけじゃないけど、15m程で息切れ、1分程の休憩でまたそれくらい歩ける・・。
血液が壊れるってそんなに怖いことなのかと・・・。
病院からの連絡で手術が決定しました。しかし、私の悪あがき・・・この年、年末にコンサートや、ディズニーシーのカウントダウンが当たってたんですよね。自分の身体よりメンタル面を優先させた時です。もう死んでもいいやと・・・。
どうせ手術をしても生命が助かる保証もない。そしてなにより、保育士にもなれない、子どもも産めない・・・・。そう思ってたので、無理をしてでもしたいことをしたかったのです。
コンサートに行き、まさかの2階席で階段上がれず、スタッフさんにお願いして機材用のエレベーターに乗せてもらったり、ディズニーでは車椅子を借りました。そうじゃないと歩けなかった。どれもものすごく楽しかった。一緒に行った友だちや、兄夫婦には迷惑かけたけど、最後かも知れないし・・・なんて思いながら楽しみました。
年明けてすぐに入院、手術になりました。
今回の手術も弁形成術。無理なら弁置換(生体弁)をするというものでした。
前回手術をしたばかりだったので癒着がひどいそうです。これを剥がし、実際に手術をするとなると、合計で10時間半くらいかかるとのこと。
この時は兄は仕事で来れなかったような記憶があります。
両親に見送られ手術室へ。
直前に麻酔を入れるルートが漏れ、腕がパンパンの腫れる事態に・・・。体調が悪くなると、血管が出てこなくなる体質の私。この頃の採血や点滴を入れるときはベテランの人しか入れられないほど、難易度が上がっていました。1回の採血で2,3回刺されるのは当たり前・・・。
手術直前に点滴の入れ替えをして、麻酔が入れられました。
麻酔が入った瞬間強烈なめまい。
「めがまわる・・・」と一言残し眠りについたそうですが、その瞬間に極端に血圧が下がって一時危篤状態になったそうです。
一回脈や血圧を戻すための処置が行われてからの手術になりました。
次私が目を覚ましたのは手術から5日後のICUでした。
どうやら弁形成ができず、弁置換を行ったようでした。この弁(人工物)が身体に馴染むまで、眠らせていたようです。
そんなことは私は知らないので、点滴の日付を見てしばし固まる・・・。目覚めたばかりということもあり、頭回ってないんですよね。
看護師さんに説明されて、理解・・・。
その後両親がきて少し会話したのを覚えています。
痛み止めがきいていたので、特に大きな痛みもなく過ごしていました。
ただここから数日幻覚に悩まされました。しかし幻覚だとは思っていなかったので、周りの人に相当怖い思いをさせてしまったようです。