雪組公演、ロミオとジュリエット。
今日の千秋楽を含め、5回見に行ってしまった。
この作品が、大好きで大好きで。
こんなときに不謹慎かもしれないけれど、この記事を書きたい。
大好きだから。

ストーリーはすごく素直に奇をてらわず「ロミオとジュリエット」なのだけれど、
この音楽が大好きだ。
私の感情のツボをことごとく刺激するようで、
血がたぎり、わくわくし、圧倒される。
この音楽のせいで、この舞台がこんなにも忘れられないのだと思う。

オープニングのヴェローナの争う民衆たちの、ダークな荒々しさ。
かっこよくて、でも圧倒されて、一気に引き込まれる。

ロミオとその友人たちが歌い上げる世界の王は、わくわくして、血がわーっと体を巡る気がする。
キラキラした十代の男の子たちがまぶしい、若さを謳歌する歌。
男の子同士でふざけて小突きあってじゃれあう、邪気のない友情。
あの感じは、女にとってやっぱり憧れだ。
自由なんて憧れる前に手にしてると信じられて、
何にも縛られずに好き勝手できる気がしている、幼い十代。
実際に私が十代だったころは、あんな無邪気ではなかったけれど、
それでも自由に、自分たちのルールは自分たちで決められると信じてた。
それが、まぶしい。

キラキラと幸福な一幕がまぶしかった分、不幸の連続になる2幕の重さが苦しい。
ティボルトとマーキューシオの戦いと死。
メンツを潰されること、「臆病者」と馬鹿にされることに一番反応してキレてしまうところも、十代の男の子らしい。
だから、そんな幼い彼らの結果が悲しい。

止まらない憎しみの連鎖に立ち竦む、ベンヴォーリオの絶叫に息が詰まる。

圧巻のラスト、ロミオとジュリエットの死を嘆いての、両家の和解。
何度見ても、このシーンで泣いてしまう。
どうしてあんなに、あの音楽に心が揺さぶられるんだろう。
私は、素直に「ロミオとジュリエット」に泣けるほどピュアじゃない。
今まで、映画や他の舞台で「ロミオとジュリエット」を観たことはあるけれど、
泣いたことはない。
なのに、泣ける。
憎しみから愛と死を通じて赦しにたどり着いた、この美しさに泣けてしょうがない。
心は比喩じゃなく、震える。
感動すると、心も体も震えるよ。

憎しみが生んだ死は、次の憎しみを生んできた。
愛から生まれた死が、その憎しみを終わらせた。
ロミオとジュリエットは、美しい話だ。

このロミオとジュリエットを、生で心行くまで観られて良かった。
私は本当に幸せだ。

キムくんも、あいさつでは地震のことにまず触れていた。
こんなときに、観に行くことも感想を書くことも不謹慎かもしれないけれど、
この作品を最後まで上演してくれた人々に感謝したい。
私は直接の被害はほとんど受けていないけれど、
実家は被災地に近くちょこっと話も聞いて、滅入ったりちょっと不愉快なこともあったりした。
(実家は東北ですが内陸なのでもうほとんど通常に戻っていて、心配はありません)
でも、今日幸せになれたんだ。幸せにしてくれたんだ。
もともと大したことない私ひとりの心が幸せになったって、どーってことないけどさ。
でも、感謝したいよ。ありがとう。
凍りのくじら   辻村深月

理帆子は、頭のいい覚めた高校生。
読書が好きで、なかでもドラえもんが好き。
SFとはサイエンスフィクションではなく、少し・不思議な物語、という不二子先生の言葉に共感し、
周りの人間に対しても「少し・ナントカ」をあてはめる遊びをしている。
少し・フリーな女子高生、少し・不安な進学校の友達、少し・不幸な母親、少し・腐敗な彼氏。
社交的でどの場所・どのグループにも溶け込めるけれど、
現実感が薄く、冷めた目でまわりを観察してしまい「みんなと自分」を一緒だと思えない。
どこにいてもそこを自分の居場所だと思えない、「少し・不在」な理帆子の物語。


リアルすぎる。これがはじめの感想。
この本は友達から借りた本で、その友達はまさに理帆子のようだった。
もしくは、自分を理帆子のようだと思い、さらに理帆子に近づいて行った。
頭がよく、周囲の出来事を端的にまとめて整理できてしまい、冷めている。
単純化と分類が得意。
ふつうなら、日常の友達関係にしろ恋愛のごたごたにしろ、
いろいろな感情が絡んで頭の中の脈絡は自然となくなっていく。
話の筋道なんてそうそう通らないものだ。
なのに彼女にかかれば、まるで組立てのうまい脚本家が書いた物語みたいに起承転結のある話になる。
ストーリーに必要のないエピソードの省略が上手で、筋道をつけるための心情補完が上手。
人物のキャラ立てもばっちり。
何かが起こるためにはきっかけが用意されていて、伏線は回収される。
現実の話をしているのによくできているから、どこかいびつ。
そのくせ、現実の重いニュースは必要以上に感情移入をしてしまうから見られない。
キャパオーバーな現実に接すると、嘘みたいに心がむき出しになって、防御力ゼロになる。
リアルじゃないみたいにまわりを観察して、話をする、この十代の女の子の存在の仕方が、
なんてこったい、ってくらいリアル。

さらにリアルなのは、理帆子の元彼・若尾だ。
成績がよく、弁護士を目指し、わかりやすく周囲を馬鹿だと見下す。
とびきり甘い容姿と、彼が語る独りよがりな夢と、脆弱な精神が、彼に「カワイソメダル」を与えた。
彼を目にすると、かわいそう、守ってあげなくてはという気分にさせる。
彼を支え、その夢に寄り添う幻想に酔っぱらわせる、どうしようもない道具。
自分の夢が形骸化していることにも、馬鹿げた逃げ方ばかり繰り返していることにも、
怖くて気づけない、逃げられなくなったら簡単に壊れてしまう、「少し・腐敗」な男。

自分には夢があって、他の普通の人間ならもっと楽な道を選べるけれど、
自分はその夢を捨てることができない。
楽をできない個性をしている。

こう言って、自分を正当化する。
まっとうに生きている人を見下し、自分はチガウと優越感に浸る。
そして、なにもできていない現在の言い訳にする。
はっきり言って、怖い。
若尾が、じゃなくて、そうなりうる自分が。
こういう人間は、周りにもいた。
程度の差こそあれ、確実にいた。
私だって、そういう面があった。
だから、怖い。
若尾が正体不明のエイリアンではなく、なりえたかもしれない、どこにでもいるかもしれない、
そういう若い男だから、怖い。

この本は、傑作だと思う。
ここにある救いの形は、確実に誰かを、誰かの世界を救える。
でも、ある意味、危険図書だ。
そのくらいの、力がある。インドア派≠引きこもり の主張
$インドア派≠引きこもり の主張
自分でちょこっと話題に出したら、何か思い出してしまった・・・。
私のアツイ時代に好きだった作品。

仮面のロマネスク 1997年雪組
ラクロの『危険な関係』が原作。
フランス革命ののち、王政復古となったパリ。
宮廷には再び貴族たちが集い、華やかな舞踏会と恋の駆け引きが繰り広げられる。
ヴァルモン子爵とメルトゥイユ伯夫人は、それぞれに恋を謳歌している似た者同士。
その二人が手を組み、周囲の男女に恋愛ゲームを仕掛ける。

とにかく、色っぽいシーンの連続できゃーきゃーしてました。
高嶺さんの演じるヴァルモン子爵は百戦錬磨の色事師。
貞淑な人妻・トゥールベルの奥方や、清純な少女セシルに、艶っぽく迫る。
どきどきしながら観ていた。
その様子を楽しんでみている、はなちゃん(花總まり)演じるメルトゥイユ夫人も、
ありえないくらいの美しさ。
高貴に、艶やかに華やかに。
そして人前と本当の顔とを瞬時に切り替えられる、哀しいくらい聡明な人。

しかしそれだけでなく、この作品は好きだ。
二人は恋を楽しんでいるけれど、結局溺れきってしまうことができない臆病な人。
表の顔と裏の顔を使い分けることが必須の貴族社会を泳ぎ切るために、
本当に「愛している」と、ただそれだけのために何もかも忘れることができない。
なまじ、賢いだけに。
二人は仮面を付け続ける。
貴族としての自分の人生を生き抜くために。

だから二人はすれ違う。
似た魂をもっているから、はじめから惹かれあっていたのに、
近づきすぎると自分をさらけ出しすぎてしまうようで、怖くなって離れてしまう。
思い切りぶつかれない。

「私も戦っていたの。時には、あなたとさえも」
「私は愛にまで仮面をつけてしまった」

メルトゥイユ夫人の独白。
誰にも心を許せなかった、強い女性だったゆえの、哀しさ。



そういう二人だからこその、あのラストシーンなのだろう。
7月革命が起こり、貴族社会は再び崩壊にむかう。
その中、戦うでもなく、外国に逃げるでもなく、たった二人の舞踏会をする。
外は民衆と軍の衝突で大混乱に陥る中、美しい笑顔で踊り続ける。

貴族社会を生きる必要がなくなって、初めて二人は仮面を外して向き合える。
砲弾の音が響く中、崩れていく屋敷で、滅びの中でやっと。

これは、貴族であることを捨てたから、ではない。
貴族であるよりも自分をありのまま生きることを選んだ、というわけではない。
反対に、二人がどこまでも貴族でしかいられないからだ。
貴族を捨てて生きる気なんて、ない。

他のみんなは、いろいろな形で次の時代を生きていくのに。
貴族の青年や少女たちは、自分の次の居場所を探す。
ブルジョワたちは次こそ自分たちが時代を担うと息巻く。
貧乏なままの平民だって、自分たちが世の中を動かせると信じている。
そんなのどーでもいいから、とりあえず死なない程度に楽に生きようとする奴もいる。

様々な形で前に進もうとする人たちの中で、貴族でしかあり得ない二人は終わっていく。
貴族でしかいられないから、貴族の社会の崩壊とともに、
崩れ去る屋敷から逃げることもせずに、鮮やかに笑って死んでいく。
最後に仮面を外して、鮮やかに。

すごくすごく、印象的なラストシーンだと思う。
好きな本、っていうか単純に読んだ本とかも、これから記事に加えていきます。

『重力ピエロ』  伊坂 幸太郎
泉と春は兄弟。
遺伝子会社に勤める平凡というべき兄の泉と、街中の落書き消し屋をしている整った容姿をした弟の春。
至って仲のよい、兄弟。
だが春は、母親が十代の強姦魔の少年にレイプされてできた子どもだった。
仙台市内を舞台に起こる連続放火事件を追いながら紡がれる、
生まれ・性的なるもの・DNA・・・様々なものとたたかう家族の物語。


読み終わって、すごい、と感じた。
なんてすごい小説なんだろう。

この小説は様々な挿話に満ちている。
春が尊敬する、非暴力・非協力・不服従を説き性的なるものを否定したガンジー。
目に見えるものに価値を感じていないからこそ軽やかに音を奏でる盲目のサックス奏者。
「カラマーゾフ的なるもの」が自分に受け継がれていることを恐れる、『カラマーゾフの兄弟』の二男イワン。
あいさつのようにセックスをするボノボという猿。
一つ一つの挿話は確かに面白いのだが、初めは「それだけ楽しんでてもなぁ・・・」と感じていた。
だが、終盤に向かうにつれ、その挿話のすべてが意味を成し、
春の、泉の、この家族としての人生を紡いていくのが圧巻だった。
圧巻と書いたが、実際には「圧巻」というような大げさな印象は受けない。
むしろ軽やかで、さりげない。
くすりとする程度。さらりと流せる。
「本当に深刻なことは陽気に伝えるべきなんだよ」と作中で言われるように、
それこそ、ピエロがメイクをしてあらわれ、重力を忘れさせてくれるように。
こういうのを、本当に「ウィットがある」というんだろう。


終盤、泉と春のペットショップでの会話が好きだ。
春が、自分が放火魔だったことをネタばらしするシーン(告白するというのはどうもふさわしくない)。
泉が、春に「警察に行く必要はない」と言う。
軽妙な掛け合い。重苦しくも涙にまみれたシーンにもならない。
なにしろペットショップ。まわりはのんきな犬。
それでも、実は泉は必死だ。

「気を少しでも抜くと、その場に座り込み、地面に手を突き、
『おまえは自首すべきだ』と聞こえのいい台詞を吐き出してしまいそうで、
奥歯を噛み、それを必死でこらえた」
「ピエロは、重力を忘れさせるために、メイクをし、玉に乗り、
空中ブランコで優雅に空を飛び、時には不恰好に転ぶ。
何かを忘れさせるために、だ。
私が常識や法律を持ち出すまでもなく、重力は放っておいても働いてくる。
それならば、唯一の兄弟である私は、その重力に逆らってみせるべきではないか」

泉にとって、『おまえは自首すべきだ』というほうが聞こえがいいのだ。
そのほうが、正しいと思える。
法律がどうとかそういうこと以前に、自分の良心に照らし合わせてそう思う人なのだ。
もちろん何の迷いもなくそう思っているわけではないにしても、
普通に「そういうもんだよな」と条件反射で思うくらい、平凡で善良な兄貴だ。
そういう人が、価値観を、自分の歩いてる地盤をひっくり返す覚悟で言っている言葉だ。
これからの人生を、重力のない、とんでもない世界で生きたってかまわないから、
今この時春のために、ありったけの力を振り絞って重力を消す。
軽やかに、でも不恰好に、精一杯のことをする泉が好きだ。

誰かのためなら、重力を消す。
そっちのほうが正しいから選ぶ、とかではなくて、
これから間違った世界で生きることになっても、そうしたい、という覚悟を決める。
そういう瞬間が、もっとちっちゃいことでだけど、私にもあったから共感したんだと思う。

シーサーブログでしばらく書いていたのですが、ほっておいてIDとパスワードを忘れたために書けなくなったので、引っ越し(笑)

いやー、ばかだなぁ自分。


宝塚が好きです。

働いてます。

20代女子、子っていつまでつけてていいのか、最近の風潮を見ていると分からなくなる。


今日は雪組全ツラインナップ出ました。

2010年4月~、キム(音月桂)主演で『黒い瞳』。


私、初演の『黒い瞳』大ファンです。

マミリカ時代が大好きな、年季が入ってきた十ン年目のファンですから。

(や、濃度は薄く、会にも入らず気になった作品だけ見るというライトファンです)


私にとって、これはリカちゃん(紫吹淳)に恋した大事な作品だ。

初演のリカちゃん演じるプガチョフは、帝政ロシア時代の「プガチョフの反乱」を率いたコサック。

エカテリーナ2世がロシア皇帝の権力を高め華やかな宮廷を築いていたころ、唯一彼女が恐れたというこの反乱。

プガチョフは、泥臭くてぎらぎらしたコサック。

脱獄囚がニセ皇帝を名乗り、世直しという賭けに打って出るという、信じられないほど豪胆な男。

決してきれいな役ではないけれど、くせの強いリカちゃんならではのカリスマ性のある、骨太で魅力的な役だった。

とにかくプガチョフの凄さが印象に残っている。


だからもう、大好きだから、テンション上がる。

同時にちぎくん(早霧せいな)のバウってことは、プガチョフはオヅキですか!?

最近、私は緒月遠麻が好きです。気づくとオヅキオヅキ言ってます。

渋い二枚目とかができるようになっているオヅキなので、男らしいプガチョフを見せてくれるのではないかと期待大。


・・・と思ったところで、ハタとした。

・・・まっつ(未涼亜希)、なにやるの?

えーっと、まっつはプガチョフじゃないよね??

まっつがプガチョフだったら、なんかこうおもしろすぎる。

(てゆーかほんとはキムのプガチョフが見たい。とつぶやいてみる)



大好きな時代の作品の再演は、過去の残像が消えないのでちょっと大変なんだけど。

去年の星組全ツの『激情』がつらかったんです。

やっぱり宙組の初演激情が大好きで、でもって、ちえちゃん(柚希礼音)も大好きだから喜んで行ったんだけれども。

ちがうー、ちがうー、っていうのばかりが気になってしまって・・・。

ちえちゃんもすずみんも良かったはずなのに。もったいないことをした。

今度は冷静に観たいものだ。



全ツって柴田作品の再演増えたなぁ。

来年あたりらんとむが『仮面のロマネスク』やったりして。

笑うぞ。