今日があることに感謝いたします

 

ありがとうございます

 

 

 

 

 

休日の朝 

 

じじーの朝は早いから

 

5:00~動き出してみる。

 

夏前の庭木剪定

 

大きな音を立てないように

 

鋸でゴリゴリ枝を伐採です。

 

日除けに張り出させてる太い枝に乗り

 

上の方までゴリゴリ・ゴリゴリ

 

イイ感じに切り終わったころに

 

二階の息子と目が合った。

 

「危ないよ~」

 

第一声がそれかいっ

 

 

 

”一年生の小さい子どもはまず、

枝が緩やかに横に伸びている

松の木にトライする。

それが登れるようになると、

次は数本の紅葉の木に挑戦する、

というふうに、

上級生を見ながら

だんだん高い木に登れるように

なることを楽しんでいます。

子どもたちは登り方を身につけながら、

安全な降り方、

自分はどれくらいの高さからなら

飛び降りることができるか

といったことも体得しています。

遊びではありますが真剣です。

危ないのは、

子どもには登れない木の高い枝のところに、

大人がひょいとのっけてあげることです。

町の公園などで、よく見かけませんか? 

私などは見ていてドキドキします。

なぜなら、

それは行きすぎた手助けだからです。

子どもから、

自分に登れる木かどうかを判断する機会を

奪うことになりかねないし、

木に登るとはどういうことかを

経験しないために落ちる危険も増すのです。”

:養老孟司

「子供が心配」より

 

 

 

確かに 危ない

 

危ないからやらない 

危ないから足場を設置して動く

危ないから誰かに任せる

 

どのくらい対応できる危なさか?

 

の判断をできない状況だと危ない

 

危ないで一括りにしたら

 

自分は何も判断できない人間だ

 

って認めてるようで自分が許せない。

 

たまには子供の時のように

 

いつもと違った目線に動いてみると新鮮だ

 

ワクワク感もいっぱいです。

 

 

切り落としてさっぱりして半分

片付け終わって完了

 

 

危ないを体験しながら

 

自分にはどうなのか?の判断の機会を

 

奪わないようにしなきゃなんて感じたりして

 

さてさて息子を木に登らせるには

 

そうしたものか・・・・

 

 

 

ハッピー気分でスイッチ恩