富士王朝伝説について興味を持ち始め、取りあえず地元のその研究家(いや国内での第一人者)の加茂喜三氏の著作を読む事から始めているのだが、氏の著書は古代史初心者の私にとって、とても難解で、なかなかその読解が進まない。そこで、「日本の神様」がよくわかる本(戸部民夫 著)とか、日本の「神話」と「古代史」がよくわかる本(日本博学倶楽部 著)などを古本屋などで探したりして、最近は記紀との比較などをして余暇を楽しんでいる。
そんな中、加茂氏と交流があった同じ富士文献の研究をされている方たちの著書をamazonで入手する事が出来た。
それぞれを読み比べていく事でかなり理解度も増してくるのだ。
さて、昨日の登山の帰り、西湖から139号線に向けて車を走らせていると左手に竜宮洞穴の看板が出てきた。残念ながら時間もなく立ち寄れなかったのだが、各文献を照らし合わせていくと、興味深い話につながっていく。
この青木が原周辺には、かつて、せの海(背の湖)と呼ばれた湖があった。やがて、800年と864年の2回にわたる富士山の北西側からの大噴火によって溶岩が流出し、現在の本栖湖、精進湖、西湖と三湖となり、青い海原は緑の樹海に変化した。
この背の湖の北側に、伊弉諾尊(イザナギ)の子、大綿津見(オオワタツミ)神(=大海祗命:蛭子命:栄日子命:竜王)の住居(御家:みや:宮)があったといい、これを省略して竜宮といった。そういうわけで、大綿津見神は海神とされているのだが、竜宮洞穴に祀られているのが、その子、水の神である豊玉媛命である。豊玉姫は火遠理命(=彦火々出見尊)の妃となり、その家系は神武天皇に繋がっていくこととなるのである。
さて、加茂氏によると豊玉姫と火遠理命の出会いは、有名なあの童話の話の事績であるというのだが、その話はまた別の機会で・・・

