日本での紙の製造は長い期間、手漉(す)きで行われて和紙と呼ばれていた。そしてトイレの始末用に比較的に身分の高い人を中心にこの和紙が使用されていたのだが、例えば16世紀に伊達政宗の命で支倉常長という人が渡欧してその際に持参した和紙の実物がフランスにある博物館に残っているという。そんなわけで、当時はトイレ紙を携帯する習慣もあったようで、生活習慣の中でトイレの始末後にお尻を拭くという習慣はしっかりと生活文化の中で受け継がれていたと推測される。
やがて明治時代に入り西洋から伝わった製紙技術により洋紙が作られるようになり、急激にその生産量が増える事になる。実は最初に原料に使われていたのは和紙の原料として使用されていた楮(こうぞ)や三椏(みつまた)のようなものではなく、ボロ布であった。やがてボロ布が足りない状況になると、ワラが主要な原料とされるようになる。昔、「ワラ半紙」と呼ばれる茶色い紙を多く見かけたが、その名前の由来はそこからきていた。庶民はそうした洋紙を揉み解して始末用に使用していたわけだが、やがて古紙を原料として紙を製造するようになり、新聞古紙を使用して紙にクレープ(しわ)を付けるようにして製造されたものがチリ紙である。もちろん最初の頃は現在のような漂白技術が発達していなくて、使われている古紙もそうした茶色いものばかりだったので 「黒ちり紙」 と呼ばれいた。
現在使用しているようなロール状のトイレ紙も明治維新後、一部の施設や特権階級の人たちは使用していたのだが、それはアメリカ等から輸入したものであった。では、いつ頃そうしたロール状のものを日本で作られたかというと、大正時代に当時の日本紙業(現日本大昭和板紙)が製造したものが最初らしい。その後もしばらくは大きく生産量を増やすこともなく、チリ紙を生産量で抜くのは80年代になってからである。現在においては温水便座機の普及により、用を足した後の始末紙というより水洗いした後のタオル的な用途に進化しつつあるわけで、たかがトイレットペーパーといってもまだまだ進化を続けているのです。