獺は一字で「かわうそ」と読ませるが、生物としてのニホンカワウソは、ユーラシアカワウソの一亜種または独立種とされて、イタチ科に属するラッコなどの仲間である。この獺を私の故郷では単に「うそ」として地名に残している。獺の戒(うそのいましめ)などと仰々しく題にしたのは、故郷にこだわりだした最近の感覚、これは素直に戒めなのではなかろうかと思いはじめたからである。
日頃、ふるさと、故郷について、そろそろ打っ棄ってもいいのではないか、と思わせる謹言が二つばかりあった。「ふるさとは遠くにありて思うもの」と「故郷に錦を飾る」である。
ふるさとが近くでも、あるいはふるさとが現住所でも、それはまったく仕方ないではないか?
私は都市に生まれ育った人が、地方出身者に向かって「地方にふるさとがある人はいいねぇ」などという言葉を聞いたことはあっても、心底ふるさとが遠隔でなかったことを恨んでいる表情を見たことがない。近くだろうと現住所だろうと、ひとつだけの故郷というものは、ただ「そこにある」式の存在論のように、そこで生まれ育ったのであれば、そこが故郷となるのだ。そして旅先ないし遠隔であれば、抒情に浸るのは勝手なことで、言葉による仕業は致しかたない。
故郷に錦を飾る、という言葉に恐ろしく鈍感になってしまったのは、誰かの著作によるとすればクッツェーのそれによるのかもしれない。クッツェー?ジョン・マクスウェル・クッツェーは南アフリカの偉大な作家である。そしてジョンの故郷は彼に対して素っ気ない。錦を飾るどころか、赤い砂漠に広がるイエロー・ガザニアを一瞥するように素っ気ない。素っ気ないままに彼を放任している。よって彼は飾る錦などと比較にならない自由を故郷に持っている。故郷とはこうあってほしいものだ。しかし私はジョンの著作を論じるためにそこに戻ってきたのではない。もちろん故郷の素っ気なさを当てにして戻ってきたのでもない。そのまま刹那に吐かしてもらうならば、都市で殺伐なままに鈍感になってしまった私は、性懲りもなく恥辱もさらさら感ぜずに、充分に老いきった母のいる襤褸館、あるいは獺の洞へ戻っただけのことだ。確かに母は素っ気ないのだが。
私が生まれ育った故郷は、岩国市周東町獺越という山渓である。獺越と書いて「おそごえ」と読ませる。獺は川獺(かわうそ)のことであるから、「うそ」の音が「おそ」に転じたものであろうが、私自身は生まれてこのかた、故郷ではむろん動物園に行った折にも、未だ川獺という動物を見たことがない。ふと、これは困ったことだと思った。
川獺を見たことがない、あるいは川獺が見れないことに、我々は懸念を持たなければならないのではないか?
川獺が見れないと聞いて、少なくとも一端の大人のつもりである方々は、寂漠とした視線になって山河を思いやるべきであろう。余裕のない自分のことで精一杯の子供じゃないのだから、聞いたように「そりゃそうだろう、一九七九年以来目撃例がない絶滅種だから」などと軽々しく口にすべきではない。大人は故郷に錦を飾る必要はないが、大人は故郷の鳥獣虫魚の残響に拘るべきである。もちろん次世代のためにである。
岩国市内からあくまで国道二号線を辿って、錦橋を右に見てから保木川に沿って廿木峠を越えると、やっと岩国市玖珂(くが)地区が見えてくる。よって高速なら玖珂インターで下りれば、あとは島田川の支流東川を北西に遡って、国道二号線や山陽新幹線の下を通って周北の山渓に至る。タクシーであれば「獺越の周北小学校の方へ行って」か「獺越の旭酒造の方へ行って」と告げるのがよい。
獺越の地名の由来は、市に編入されるはるか以前のこの辺りに、古い獺、つまり狸や狐の変身ように、美女に化けて人をたぶらかしたり、言葉を話して道行く人を呼び止めたりと、そういったことができる老いた川獺がいて、その川獺が子供を化かして村まで追越してきたという言い伝えにある。つまり私の故郷は川獺と共にあったのである。そしてこの歳になってみると、どうしても老母に面と向かって、二つばかり確認しておきたいことがあった。
若い頃から絶世の美女だったといわれたらしい母、その母の若い頃の写真が一枚も残っていないのは何故か?
母の息子である私、その私の髪が、ブリーチしたわけでもないのに、ずっと黄色いのは何故か?
了