厨房では夕食の準備をする祖母が忙しく動き回っている。法事で中村家の親戚が集まる間は忙しい、と自宅に帰ってくることも稀になる。祖母の働きっぷりを見て神宮寺は改めてその偉大さを知る。

「なにボーっとしてんだい勇太、大根の皮ぐらいお剥き」

「え…俺にんなことできるわけねーじゃん。もっと簡単な作業にしてくれよ、ばーちゃん」

「全くもう…今時の男の子は大根も剥けないのかい。母さんに言っとかなきゃいけないね。たまには家の手伝いをさせろって」

「へえへえ…」

祖母にはかなわない。自分にもその血が流れているがどうやらあまり濃くはないようだ。どちらかというと呑気な父親似であると自覚している。

茶碗にご飯をよそるという初歩的な作業を申しつけられ、神宮寺は機械的にそれをこなした。

「…なあ、ばーちゃん…」

「なんだい?あんまり話しかけるんじゃないよ。今忙し…」

「嶺亜は元気か?」

その名を口にすると、祖母は一瞬手を止める。そして聞こえるか聞こえないかの小声になり答えた。

「…滅多なこと口にするんじゃないよ。誰に聞かれてるか分かんないだからね」

「…」

必要以上に慎重になってしまうのは仕方がない。誰かに悟られたら嶺亜の命に関わるから。祖母はその秘密をもう19年近く守っている。

「…嶺亜様は変わらず元気でいらっしゃるよ。会いたければもう一晩泊まっておいき。お話しといてあげるから」

聞きとるのがやっとの声で祖母は答える。

「や、別に会いたいわけじゃねーよ。俺、なんかあいつとあんまあわねーし。向こうも別に俺になんて会いたくねーだろうし」

「…お前のその失礼なところは誰に似たんだろうね。嶺亜様はお優しいいい子だよ。あたしの体も気遣ってくれるし、奥さまのことも…」

祖母は嶺亜が生まれた時からその母親と代わるがわる交代して嶺亜を育ててきた。だから彼女にとっては勇太と同じ、孫のような存在なのだろう。いつの間にか語るように話し始める。

「19歳のお誕生日がもうすぐそこまで迫っているからね…奥さまとお誕生日のお祝いのケーキを作ろうと相談中なんだよ。でも嶺亜様はケーキがお好きじゃないからオムライスに変更しようかって言ったりもしてて…」

「んだよ、俺の誕生日にはそんな気を遣ってくんねーじゃねーかよ。去年なんか栗饅頭で済ましたじゃねーか」

「なに僻んでんだい。お前は玄樹ちゃんや挙武ちゃんにちゃんとお祝いしてもらったろう。お友達呼んで朝まで騒いで…そんな当たり前のことが嶺亜様にはできないんだから、せめてあたし達が盛大にお祝いしてあげないとね」

そこまで話して、厨房の戸が揺れる。我に還ってぎょっとした表情の祖母がそこへ視線をやると立っていたのは岩橋だった。安堵の溜息を勇太は祖母と同時につく。

「…玄樹かよ、びっくりさせんなよ…」

「…あたしとしたことが気を抜いてたよ…いけないね。気を引き締めないと」

祖母はぱしっと自分の頬を叩いた。

当の岩橋は中の会話は聞こえていた様子は見せず、何か手伝うことはないかと訊いてきた。

「挙武はどこ行った?帰ったのか?」

「ううん。ちょっとお墓の方行くって…でも降ってきたからもう中に入ったんじゃないかな」

そういえばまた雨音のようなものが聞こえてきた。帰るタイミングを失ってしまったかもしれない。

「墓ね…」

「岸くんたちは部屋で休憩中。栗ちゃんだけは相変わらず元気なくて。疲れてるのかな」

「あいつギャーギャーうるせえかと思ったら急にあんなになるんだもんな。忙しい奴だぜ」

「確かに。でも楽しい人達だよね。僕達は同年代がこの集落にあんまりいないから…外の世界にはああいう人達がいっぱいいるのかな」

若干自嘲気味に呟く岩橋の横顔を、神宮寺は複雑な気持ちで見た。

彼の言いたいことはなんとなく分かる。集落のしきたりに縛り付けられた自分を「籠の中の鳥」と時々皮肉ることがある。そんな時、神宮寺は決まってこう答えることにしてる。

「いつか出られるだろ。辛抱強く待ってりゃ、いつかはな」

岩橋は頷くことも、否定もせずただ黙って床を見つめていた。

 

 

 

かごめかごめ

かごのなかのとりは

いついつであう

よあけのばんに

つるとかめがすべった

うしろのしょうめんだあれ

 

「…」

昼食をとるために食堂へ向かう途中に龍一はその唄を聞く。繊細な美しい歌声に一瞬聞き入っていると歌声の主と目が合った。

瞳の奥がこう告げている…気がする。

『今年も嶺亜に会いに来てくれてありがとう』

もちろん、それは自分の願望かもしれない。それを確かめる術は今のところ持たない。

「奥さま、ご昼食のご用意ができました。お食べになられますか?」

彼女には精神を病んだことを気遣うため使用人が常に側にいる。会話をすることはままならない。表向きそうなっているから…

龍一が踵を返そうとすると、後ろに人がいたことに気付く。

「叔父さん…?」

それは叔父だった。しかし龍一に気付いていないのか視線は真っ直ぐ向こうに向いている。

見やると、嶺亜の母が使用人に支えられて自分の部屋のある方へとゆっくり歩いて行くところだった。

声をかけるべきかどうするべきか迷っているうちに叔父は龍一の存在に気付いて歩み寄ってきた。

「あ、龍一くん。昼ご飯を食べに?今朝は具合が良くなかったみたいだけど大丈夫かい?心配してたんだよ」

どこか取り繕っている感じがしたがそれに気付かない振りをして龍一は頷いた。

「叔父さんは何を?」

叔父の歩いてきた方角は彼が泊まっている部屋とは違った方向だった。龍一はなんとなく気になって問い返す。

「うん。兄さんのね…」

歯切れの悪い返答をして叔父は苦笑した。

そういえば…と龍一は思い出す。龍一にとってもう一人の叔父であるその人はこの家に入り婿として迎えられた、嶺亜の父親である。だが嶺亜が生まれて、その存在を葬られてからその後を追うようにして亡くなったと聞く。龍一は会った記憶はない。

嶺亜の墓が千年桜の樹の下にあるように、その父親の墓もまたこの家の庭のどこかにある…と聞いたことはあるが法事に参加するのは嶺亜の命日前後だけだから龍一は知らない。叔父は恐らくその墓参りも兼ねているのだろう。龍一はそれ以上掘り下げずに黙って歩いた。

食堂には親戚たちはちらほらと集まり始めていて、龍一の家族も後からやってくる。ちゃんと自習をしているか確認されたが適当にはぐらかしておいた。

「ご主人はまだですかな?」

料理が全て運ばれ、もうほぼ全員が集まったが上座の家主がまだ姿を見せなかった。使用人が呼びに行くその間は道路の復旧や身の降り方などの話題があちこちから上がる。聞き耳をたてていると、悪天候は続いているもののどうやら明日には道路は復旧するらしかった。

「やれやれ、こんなところに何日も足止めを喰らうなんてまっぴらごめんだ。助かった」

安堵の溜息があちこちであがる。龍一は複雑な気持ちだった。

また来年…

一年間は、もう会うことがない。法事以外にこの屋敷を訪れるもっともらしい理由など龍一にはない。何度か試みてみたがやはり思い留まってそれは頓挫する。万が一にも嶺亜が生きていることを誰かに悟られるわけにはいかないから。

全ての柵から解放されれば、いつでも会うことができるのに…

そんな、どうにもならない思いを抱かずにはいられない。

再び降り始めた雨の音を聞きながら、龍一は味の分からない食事を淡々とこなした。