夕暮に染まる港はロマンチックだ…とジンはガラにもなくキザな思いでその景色を眺めていた。実に絵になる…今の俺は世界で一番カッコイイだろうと自分で自分を評価しながら。

「ジン何してるの?早く船に戻らないと夕ご飯始まっちゃうよ」

「ゲンキ…いいから手を出せ」

「え?何?なんで手なんか…」

首を傾げながらゲンキが手を出すとジンはそっとその指に嵌めた。

「これは…?」

「お前に似合うと思って買った。気に入ってくれればいいけどな…」

小さな翡翠の指輪をジンはゲンキのために買ったのだ。お揃いにしたかったが一つ買うのがいっぱいいっぱいだった。そう説明するとゲンキは目を潤ませる。

「ジン…」

「まあこないだちょっと誤解させちまったしな…これで機嫌直してくれるか?」

「うん…ありがとう…大事にする」

今夜は寝かさねえぞ…とつけ加えようとすると、後ろからキシが覗きこんできた。

「あれ?その指輪ゲンキにあげたんだ。なるほどねーだから必死に値切ってたんだ。そういやジンその売り子のおねーさんにいたく気に入られてほっぺにチューまでされてたよね。お買い得な上に綺麗なお姉さんにスキンシップまでできて羨ましいよなホント」

「ちょ…おいキシ、今それ言うか!?この状況見…」

「…」

ゲンキの潤んだ瞳が見る間に澱み始める。やべ…と思った時にはすでに遅くヘソを曲げた彼は指輪をジンに投げつけて船に入ってしまった。

その船内の厨房では慌ただしく盛り付けがされていて戦場状態だ。だがそんな状況もおかまいなしにケイがずかずか入ってきてレイアに声をかける。

「レイア~…あのさあ」

「え?何?ちょっとケイどいてぇ今度はスープ入れなきゃぁ…あ、カオルぅまたつまみ食いしてぇ!そんな暇あったらサラダ盛ってよぉ!」

「レイア、いいからちょっと手を止め…」

「もぉやだぁチーズ足りないよぉ。またカオルでしょぉ。今度という今度は許さないからぁ!」

激昂したレイアが振りあげたフライパンが後ろにいたケイの顔面にヒットする。しかしレイアはそれには気付かず逃げ回るカオルを追って厨房から出てしまった。

「いってー…ったくレイアの奴普段おっとりしてんのに厨房では別人だぜ…せっかく渡そうと思ったのに…」

切ない気持ちでケイは蚤の市で買った銀のブレスレットを握りしめる。溜息をつきながら食堂のテーブルに座っていると、同じような…あるいはそれ以上にやさぐれたジンがヤケ酒ならぬヤケ炭酸水を呷っていた。見渡すと一番離れたテーブルにふくれっ面のゲンキが座っている。

「ちっくしょーキシの奴あの場で暴露するか…?ゲンキもゲンキだぜ。あんなやきもち妬きだとは思いもしなかったぜ…くそー…」

「なんか知らねえけど元気出せよジン。ほれ、水」

「サンキュ…お前の方はちゃんと渡せたのかよ?」

「うんにゃ…レイアの奴カオル追っかけてどっか行った。あの調子じゃカオルの野郎一晩中説教だろうから今日はもう無理だろうな…ハア…」

ケイとジンが溜息をついているすぐ側では全く違った世界が繰り広げられている。

「キ、キシ君…?これを俺に…!?」

フウはわなわなと震えている…目を潤ませながらキシの差し出したその袋を受け取った。

「あ、うん。今日見て来た蚤の市で服買ったんだけどそこの売り子の人が珍しいものだっておまけにくれたから。フウってなんでも美味しく食べてくれるし気に入るかなーと思って」

「ムギ・ティーっていうんだね。葉をお湯で抽出して飲むものって書いてある…ありがとうキシ君…俺もう死んでもいい…嵐の晩にカミセブン号ごと巨大クジラに飲み込まれても悔いはないよ…ゼペット爺さん…」

フウは袋を抱き締める。そしてふるふると震えて暫くそのままだった。

「ゼペット…?まあいいや。喜んでくれて良かったよ。あー腹減った。ご飯まだかなー」

呑気なキシはお腹を押さえながらケイとジンの間に座った。程なくして夕飯が運ばれて来て、船員たちは腹ごしらえと雑談を楽しむ。年長の船員は葡萄酒を飲んでごきげんだ。

「ところでキャプテン、航海士は見つかったんで?」

賑やかな中で誰かがキャプテンに訊ねる。彼は酒も飲まず渋い顔だ。

「なかなか見つからねえ。お前らも知ってのとおり、航海士は絶対数が少ねえから引く手あまたの職業だ。給料面で折り合いがつかなかったり長い航海は渋られたりで思うように話が進まねえ。爺さんの容体も良くねえみたいだし依然として厳しい状況だな」

そのキャプテンのぼやきを聞いて、レイアが「あ」と何かを思い出したようにスプーンを動かす手を止めた。

「やっだぁ僕船舶学校で学生証拾ったのに届けるの忘れてたぁ。明日届けに行かなきゃぁ」

 

 

翌日、レイアはケイと共に船舶学校を訪れた。ゲンキは「見張ってないと何するか分からないから」とジンを従えて蚤の市での買い物に向かい、カオルもミズキを誘って市場に行った。フウは昨日から「幸せの味…」と変な飲み物をちびちびとやっていて、キシは相変わらず城下町の探検に精を出していた。

「なーレイア、それ届けたら遊びに行こうぜ。昨日一緒に行けなかったんだしよ」

結局渡そうと思っていた銀のブレスレットはまだ渡せていない。昨日はカオルの説教に忙しかったレイアは今朝は早くから起きて朝食の片付けを済ますとここにやってきたのだ。

「でもぉ…気になる講座があったんだよねぇ。ケイ一緒に受けない?」

「だから俺は勉強とか合わねえって言ってるじゃん。俺頭わりーしじっと座ってるだけで身体ムズムズしてくるし誰かの声聞いてるだけで眠くなんだから。人には向き不向きがあんだよ」

「でもケイってさぁ、先輩の話聞いてすぐに言う通り動けるじゃん。実は頭いいんじゃないのぉって思ってるんだけどぉ」

「え…そう?」

おだてると、すぐさまケイは顔が緩む。この調子この調子ぃ…とレイアが次の一手を考えながら歩いていると、曲がり角で誰かにぶつかった。

「わ!」

すごい勢いだったからレイアはそのまま押し倒されてしまった。

「おいレイア!大丈夫かよ!」

「いったぁ…」

「あ…すいませんすいませんすいま…」

慌てた様子で謝ってくるその人物には見覚えがあった。何の因果か、昨日書物販売所で覆いかぶさってきた少年である。

「またぁ?もぉやだよぉ…早くどいてよぉ」

「てめ早くどけ!いつまでもレイアに乗っかってんじゃねー!!」

ケイが上から蹴りを入れると悲劇は起こった。

もともときちんと支えられていなかった少年の身体はその蹴りの衝撃でカクン、と肘が折れる。そして…

「!!!!!!!!!!!!!!!」

レイアと少年の顔と顔がぶつかり合う…それはまたの名を…

キスと呼んだ。

そう、レイアと少年の唇と唇が触れあってしまったのだった。

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」

ケイがその細い身体のどこから発したのかは分からないが大地を揺るがすような咆哮をあげた。

「てめえええええええええええええええええええ!!!!レイアに何しやがんだ!!!死ね!!!ていうか俺が殺す!!!バラバラにして世界の海に撒いて魚のエサにしてやるゴルァ!!!!!!!!!!!!」

それからはもう滅茶苦茶だった。怒り狂ったケイは少年をボコボコにした。何事だとかけつけた職員によって取り押さえられたがさらに悪いことにレイアが所持していた少年の学生証は昨日彼によって遺失物の届けが出ていた。レイアはそのつもりなど全くなかったのだが状況が状況だけにまきあげたと思われかなりまずい展開ではあった。

そして…

「すいません。うちの若いのがえらい迷惑を…」

あれよあれよといううちにケイとレイアはカミセブン号のクルーであることを白状させられ、キャプテンが身元引受人として呼ばれた。学内の人から厳重注意を受けて返される。

「…もぉやだよぉ…今日は厄日だよぉ…もう僕船に帰るぅ…」

レイアは相当テンションを落としている。半べそで目を擦っていた。その横でケイは人殺しの目で爪を噛んでいる。

「あーくそ…まだやり足んねー…あんにゃろう…今度会ったら半殺しに…」

呪詛のようにケイが呟くとキャプテンはその後頭部をばしっと叩いた。

「ったく何やってんだ…。せっかくこの船舶学校から航海士紹介してもらおうと思ったのに全部台無しだぜ…ホントにケイお前って奴は…」

「そんなこと言ったってよ!あんにゃろうがレイアに…」

「ケイが蹴り入れさえしなければそのまま起きあがれたんだよぉ。余計なことしないでよぉ」

「あ、レイアそういうこと言う?俺はお前が苦しいだろうと思って一刻も早くあんにゃろうをどかそうと思って……あー!!」

そこでケイは目を大きく見開いて停止した。そして両手を合わせてパンと鳴らす。

「思い出した!!あいつ!!どっかで見たことあると思ったら…!!あいつは…」

ケイは今しがた出て来た船舶学校を振り返る。しかし怪訝な表情で呟いた。

「…でもあいつ、なんで船舶学校になんか通ってんだ…?」

 

 

「ミズキ、これ美味そうじゃね!?あ、こっちも美味そう!!さすが海が近いだけあって新鮮な海産物が多いな」

ミズキとカオルは市場に来ていた。威勢のいい呼び声があちこちからこだましている。

「カオル食べ過ぎだよ。ちょっとは食べ物以外にもお金使ったら?」

「ミズキこそせっかくの陸地なのになんか買えよ。全然買ってねーじゃん」

「俺はちゃんと貯金してるの。いつか家に帰った時少しでも助けになるように」

ミズキは大事そうに鞄を握りしめた。堅実な彼らしい考えである。

カミセブン号の若手クルーの金銭感覚は綺麗に二分されている。あればあるだけ使ってしまうケイとカオルとキシとジン、そして倹約家のレイアとゲンキとミズキとフウである。

その倹約家のフウが珍しく市場をウロウロしていた。

「フウ、何か買いに来たの?珍しいね」

ミズキが声をかけるとフウは難しい顔で「ああ、うん…」と頷く。何かひどく悩んでいる様子だ。彼のこんな姿はカオルもミズキも見たことがない。

「何悩んでんだよフウ。そんな深刻そうな顔して。なんかフウらしくねーな」

「ほんとほんと。いつも能天気…じゃなかった、いつも明るくて朗らかなフウらしくないよ。どうしたの?」

「実は…」

神妙な面持ちで、フウは打ち明ける。

「ムギ・ティーのお返しにキシ君に何をあげたら一番喜ぶか考えてたんだけど、もうかれこれ二時間迷ってて…キシ君はモモが好きなんだけどこの国には売ってないみたいだし、するとサキイカとかチータラとかシャケトバとかそんなのの方が喜ばれるかな…それとも違うものが…あ、ちょっと待ってよカオルにミズキ、人がこんなに悩んでるのに」

「心配して損した。なんでもいーだろキシなんか何食っても美味い美味いって食うんだからさ。あ、この緑の豆美味そうじゃね?これでいいんじゃね?」

カオルは手近にあったカラフルな小さな緑の豆粒を指差す。

「これ?うーん…確かに綺麗な色だし美味しそうな感じがする…どうしようかな…」

迷うフウを置いて先に行こうとすると、市場の一角で何やら騒ぎが起きていた。野次馬をしに覗いてみるとそこには何やら暗い感じの美少年とカミセブン号の先輩クルーが数名もめていた。

もめている、と言っても荒くれ者の船員が一方的に少年に掴みかかっているという図に傍目には見える。気性は荒いが騒ぎを起こすような先輩ではないだけに、カオルとミズキ、そして遅れてやってきたフウは事情を聞いた。

先輩クルーは語気を荒くして答える。

「俺だって少々のことは笑ってすますけどよ、いきなり民衆の前で赤っ恥かかされちゃ黙ってらんねえ!こんにゃろうはとりあえず八つ裂きに…」

「何されたんですか?」

ミズキが訊ねると若干笑いをこらえたもう一人の先輩クルーが答えた。

「市場で買いモンでもすっかって俺らが歩いてたらよ、いきなりこいつが襲いかかってきてな…穿いてるモンずり下げてきやがって…それで…くっ…ダメだ…堪えられん…ぶわっはっはっはっは!」

「てめえ笑ってんじゃねえ!生きてきてあんな恥かかされたのは初めてだ!シメてやんなきゃ気がすまねえ!!」

「ははあ…公衆の面前で下半身露出か。そりゃたまったもんじゃないな。てか変態?」

カオルがチータラをモグモグしながらその暗い美少年に問いかけた。すると彼は凄い勢いで首を横に振る。

「違う!決してワザとじゃ…!段差につまづいて咄嗟に何かにつかまろうと手を伸ばしたら前を歩いていたこの人のズボンに手がひっかかっただけで悪気も何もないんです!本当です!」

悲壮な表情からはそれが嘘偽りではないことが窺い知れるが、いかんせん先輩クルーは怒り狂ってしまっている。2,3発殴られないと収まりがつかないだろうなあ…とカオルが思っていると少年と先輩の間にフウが入った。

「まあまあそう怒らず。この人、悪気はなさそうだし騒ぎを起こしたらキャプテンに怒られちゃいますからここは俺のヘッドスピンに免じて許してあげて下さい」

フウが回り出すと周りで歓声が起こった。大道芸人と勘違いされおひねりが投げられる。このおひねりでお酒でも買って下さい、とフウが渡すとどうにか怒りを収めて先輩は酒売り場に向かって行った。

「ありがとう…助かった…殺されるかと思った…」

ぜえぜえ息を吐きながら蒼白になった顔面を少年は下げる。まだ昼間なのにどんよりとしていて、顔にはまだ新しい傷や痣が見えたから余計に悲壮な感じが滲み出ていた。

なんだか放っておけなくて、カオルがちゃっかりくすねていたおひねりの一部で絞りたてオレンジジュースを買ってそれを休憩所で飲みながら話をした。

「俺はいつもこうなんだ…とにかくついてなくて、ロクな目に遭わないんだ。歩けば棒に当たるし走れば溝に落ちるしクリエでも何故か謎に名前があるし…。今朝だってやっと完成した今日締め切りの卒業論文を提出に行ったらアクシデントに遭遇してこのとおりボコボコに…あやうくまた同じ目に遭うところだった…」

遠い目をした後、しかし何かいいことでも思い出したのかその美少年はどんよりとしたオーラを一時的に消し、何か甘美な思い出に浸っているかのように頬を赤らめてそのぶ厚い唇を指で撫でた。

抜群の容姿をしているにもかかわらず、その絶妙なキモさにカオルもミズキも引いているとフウが最後の一滴を飲みほしながらふんふんと真面目に少年の話を聞いていた。

「ソツギョウロンブンって?あ、学校に通ってるんだね。何を勉強してるの?」

訊ねると、少年は深い溜息をついた。

「うん…それも話せば長くなるんだけど…元々進みたかった道と大幅に反れて何故か航海士科で学ぶことになって…でもついさっき卒業のための論文を提出してきたからそれももう終わりなんだ。資格もなんとか取れたし」

「ふうん…航海士科…って何!?航海士なの!?資格も持ってるの!?」

フウが詰め寄ると、今度は少年が引く。カオルとミズキは顔を見合わせた。

「…う、うんまあ一応…けど俺は海とかろくな思い出ないから航海士になるつもりは…」

「うちの船、今航海士募集してるんだよ!一緒に船に乗ろうよ!あ、申し遅れました俺はフウ。船乗りやってます。こっちの良く食べるコロコロ坊やがカオルでこっちの賢そうな眼のキラキラした可愛い坊やがミズキ。その他にも愉快な仲間が…」

「いや、俺はさっきも言った通り航海士とかなるつもりはなくて…そもそもが手違いで入学することに…先日実家にもようやく卒業したから戻りますって便りを出したばかりで…」

「そんな勿体ない。なかなか取れる資格じゃないし、引く手あまたの職業だってうちのキャプテンが言ってたよ」

「そーだよ。暗いけど頭はいいんだなお前。いいから話だけでも聞いてみたら?就職が決まったよってまた便りだしゃいいじゃん」

ミズキとカオルも説得態勢に入るが少年は難色を示し、なかなか首を縦には振らない。フウが半ば強引に背中を押してカミセブン号まで連れて行くとちょうどキャプテンがレイアとケイを連れて戻ってきたところだった。

「キャプテンちょうど良かった!あのね、航海士を連れてきたよ!」

意気揚々と紹介するフウに、しかしキャプテンとレイアとケイは少年を見て驚愕の表情を見せる。

「どうしたの?なんでそんな驚いてんの?」

しかしながら、少年もまた同じような顔でレイア達を見たのだった。

「?」

フウとカオルとミズキがハテナマークを飛ばしていると、ケイが少年に向かって蹴りかかった。

「てめータニムラ!!今度は一体何の用だ!!?あぁ!?」

「違う!!俺はこの人に無理矢理連れられ…ってあぁああああ!!ま、まさかケイ君…!?どっかで見たと思ってたらやっぱり…!!」

タニムラと呼ばれた少年はケイを知っているようだった。