「なになに、レイアとケイ喧嘩してんの?」

夕飯の時間、ケイ達のテーブルから離れてレイアが機嫌悪そうに食事をしているのを見ながら小声でキシが問う。

「…レイアが拗ねて口きいてくれねーんだよ。俺そんな悪いことしたかよ」

ぶすっと言い放ち、ケイはスープを流し込む。もうかれこれ二時間は口をきいてない。ここにレイアが来てから寝ている時間と仕事の時間以外でそんなことは一度もない。

だが話しかけてもレイアは返事もしてくれない。いい加減焦りが生じてきてケイは食べ終わるが早いかレイアの所まで行き、向かいの席に座る。

「なあ、何そんな怒ってんだよ。俺が綺麗な女の子に見とれたのがそんなに気に入らないのかよ」

「…」

レイアは俯く。その表情は険しく、まだ頑なに心を閉じている感じがした。このままでは埒があかない。ケイはレイアの腕を掴んだ。

「分かったよ。これから何見てもなんとも思わねーから、だからなんか言えよ、レイア!」

「痛いよ。離してよぉ!」

二人のただならぬ雰囲気に、他のクルー達もなんだなんだと集まってくる。ざわつき始める食堂内に、予想し得ぬ珍客が現れた。

「…?」

キャプテンが、タキシードを着こんだ男数人を食堂に案内していた。当のキャプテンも怪訝な表情だがそのタキシード達は食堂内をキョロキョロと見渡すとケイとレイアの方を指差して何事か耳打ちをした。

「…なんだぁ?あいつら」

「…あ。…あの人ぉ」

レイアはタキシードの中の一人に見覚えがあった。昼間に迷い込んだ屋敷から出てきたあの男だ。

ジンという衛兵につっけんどんに「もう二度とこの辺ウロウロすんなよ」と忠告されて案内所まで連れて行かれたことを思い出す。何故だと問うても彼は顔をしかめるだけで説明はしてくれなかった。

何事か囁き合って、男達はキャプテンと共にまた去って行く。食堂内はまた違うざわめきが漂い始めた。

「…って、んなこたどーでもいいんだよ。おいレイア、いいから俺の話を…」

「うるさいよぉ。ケイと話すことなんか何もないもん!」

またも売り言葉に買い言葉でレイアは食事を終えずに食堂を飛び出す。

「…」

なんかおかしいなぁ、と自分でも思う。

どうしてここまで意固地になってしまうのだろう…ただケイが綺麗な女の子に見とれていただけなのに。

だけどそれを思い出すとどうにも心がささくれだってしまって、自分でも嫌になるくらいモヤモヤとした黒煙のような感情がたちのぼる。

下らないと分かっているし、このまま気まずくなっても何もいいことなんてない。ケイは謝ってるのだからもういい加減こんな態度をとるべきじゃない。しかし頭では分かっていても感情が付いて行かなかった。

暗い倉庫の中で一人で負の感情と闘っていると、誰かが自分の名前を呼ぶ。ケイではない。先輩クルーだ。

「はい?」

「お、いた。レイア、キャプテンが話あるんだってよ。船長室にまで来てくんねーかなって」

「はぁ…」

なんだろう、と思いながら船長室に向かう途中でケイにばったりと出くわす。彼はずっとレイアを探し回っていたようで、見つけるなり足早に向かってくる。

「おい、レイ…」

「キャプテンに呼ばれてるからぁ」

また自分の中の誰かがケイにそう冷たく言って、何か言うのも聴かずにレイアは船長室をノックして入った。ドアの向こうではケイが喚き散らしてる。

「ん?なんかあったのかレイア。ケイの奴が随分うるせえけど」

「なんにもないですぅ。それよりぃ、僕に用ってなんですかぁ?」

訊ねると、船長は肘掛椅子をくるりと回して咳払いを一つはらった。

「レイア、この船にいて楽しいか?」

「え?」

質問の意味がよく分からなかった。何故キャプテンはわざわざこんな話をするのだろう…疑問に思っている間に彼は続ける。

「カミセブン号は正直、立派とは言えねえ船だ。船室は汚いし狭いし他のクルーどもも荒くればっかで無骨な連中が多い。人手も足りねえからこき使うわりには充分な給料もやれねえ。お前たちはまだ子どもだからもっと色んなところで遊んだり友達作ったりしてえだろうに、それもさせてやれねえ」

「…あのぉ…キャプテン…」

キャプテンの言わんとしていることがレイアには全く分からなかったが、レイアは質問の意図を探るより先に答えておこうとキャプテンの言葉の途中で切り出した。

「僕はぁ…この船に来て良かったって思います。生まれてすぐに親をなくして、住む家もなくて、どうやって自分が育ったのかほとんど記憶はありませんし色んなところを転々としましたけどぉ…それでも今までいたどこよりもカミセブン号は楽しいです。

友達だっていますよぉ。カオルもミズキもキシもフウも…今ちょっと喧嘩しちゃってるけどぉケイだって…。それに、色んな国を見て回れるのが楽しいからぁ、キャプテンが言うようなことは思ったことないですぅ」

「そうか。そう思ってくれてるとは嬉しいな」

嘘偽りない気持ちを答えると、どこか安心したようにキャプテンは浅い溜息をつく。そして次に机に広げていた航海日誌を閉じながら立ち上がってこう言った。

「実はな…」

 

 

「キャプテンに呼ばれてるからぁ」

冷たくそう言い放ったレイアは逃げるように船長室へ入って行く。

「おいレイア!!いいから話聞けって!!レイアってば!!」

喚き散らしたが、ドアは開かない。ケイは開けたい気持ちを必死にこらえた。キャプテンに怒鳴られるとまた厄介だからだ。

それにしても…とケイは思う。なんだってキャプテンはレイアを呼んだのだろう。確かさっきまでタキシードの男たちに船内を案内していたと思うが…ていうかあいつらは何者だろう?

そんなことを考えていると船長室の会話が耳をつく。キャプテンはレイアにここにいて楽しいかと問う。そうするとレイアがそれに答える。問題はキャプテンがまるで独り言のように呟いたその内容だった。

「実はな…さっきの男たちが、レイアを引きとらせてくれないか、と持ちかけてきたんだ」

「…え…!?」

寝耳に水だ。それはレイアも同じなのかドアの向こうでそんな気配がした。

キャプテンは続ける。

「この国イチの豪族らしい。あの男達はそこの雇われらしいが…身寄りのない子どもを引き取って成人するまでその世話をしているとかなんとか綺麗事を並べていたが本当のところはどうか知らねえ。現に、レイア以外にもうちの若い船員はほとんど身寄りがねえって話したがそのことには興味がなさそうだった」

「…」

「…胡散臭いくらい破格の交渉だ。黒胡椒を樽に100杯、黄金と象牙も50箱、おまけに葡萄酒とこの国で採れる腐らない天然水も好きなだけやるっていうんだ。レイア、お前も知ってると思うが長旅の航海では宝よりも何よりも腐らない水は貴重だ。もし船が難破した時、真水が底を尽きたら死に繋がるからな」

ケイは耳を疑った。レイア一人にそんなにも…決して豊かとは言えないカミセブン号にとっては突然降ってわいた破格の条件である。

「レイアのことも大事にすると言っていた。大金持ちの養子になるんだからな。何不自由なく育てるしきっとその方が幸せになれる。こんな汚い船でこき使われるよりは」

レイアがいなくなる…?

そんな…

そんな残酷な話はない。せっかく友達になれたのに、一緒の船で毎日過ごして、毎日笑って…

それなのに…

「…ケイ…?」

ケイは無意識にドアを蹴りあげるように開いた。中にいたレイアとキャプテンが目を見開いている。しかし、そんなことはおかまいなしにケイはキャプテンの服の襟を掴んでありったけの声でまくしたてた。

「冗談じゃねえぞ!!レイアは…レイアはどこにも行かせねえよ!!もしレイアを売るっつうんなら俺がキャプテン殺してそいつらも殺して阻止してやらあ!!!レイアは絶対に渡さねえ!!」

爆発的な感情をぶつけると、ケイは次にレイアの腕を掴む。

「レイア逃げるぞ!!俺がお前をどこにもやらさねえ!!絶対守ってやるから来い!!こんなとこオサラバだ!!」

「ケイ…」

引き摺ってでもレイアを連れて行こうとすると、後頭部に衝撃が走った。

「いでえ!!!」

あまりの痛さに思わず蹲る。ケイは忘れていた。キャプテンはそんじょそこらの猛獣よりも強いということを。とてもではないが力で敵う相手はない。一瞬にしてその力の差を思い知らされるほどの破壊力があった。

だがしかし、キャプテンは心底呆れた顔でこう言った。

「…ほんっとにお前は人の話を最後まで聴かねえで早とちりしやがるな…」

「え…?」

ズキズキ痛む後頭部をさすりながら問い返すと、キャプテンは深い溜息をついた。

「…まあいい条件ではあるけどな、生憎うちは人手不足だ。特に厨房は重要な部署でつまみ食い野郎を雇っちまったもんだからそれを止めてくれるレイアがいなくなるとうちの厨房は崩壊する。船としては死活問題だからその条件では飲めねえって断ったよ。まあ、レイア本人の意見を聞く前にそう答えちまったから一応レイアには言っとかないとと思ってな」

「え…」

「キャプテン…」

ケイは今更ながらに息を切らした。さっき、呼吸する間もなく一気に叫んだから少し息苦しくなってきた。

ケイの中に残っていたわずかな酸素は、溜息になって吐き出された。

「なんだよ…驚かせんなよ…俺てっきりレイアが売られちまうと思って…あー良かった…あー…」

安堵すると、目が熱くなってくる。ほんの一瞬とはいえ、レイアとの別離が脳裏をよぎっただけでとてつもない拒絶反応が走った。

それだけ自分にとってレイアの存在は大きいんだ。

ケイはそれを再確認する。そうすると、少し冷静になってレイアと向き合うことができた。

「レイアごめん。俺、お前の気持ちとか全然考えねえでさっきから喚き散らしてばっかで…」

心からの謝罪を口にすると、レイアの表情が穏やかになっていく。彼は俯きながらこう答えた。

「僕の方こそごめん…いつまでも意地張っちゃってぇ…自分でもなんでなのかよく分かんないけど…でも…」

レイアは顔をあげた。

「ケイがさっき僕の為に怒鳴ってくれたのを見たら、全部どうでも良くなっちゃったぁ。不思議だねぇ」

レイアが笑顔を向けてくれると、ケイもなんだか何もかもどうでも良くなる。だから一緒に笑った。

きっとこれは最上級の幸せなんだろうな…

お互い言葉には出さなかったが、確かにそう感じていた。