「克樹、食べなよ。琳寧タッパに詰めて持ってきたから。具合が悪いんだったら寮母さんに言ってお医者さんに連れて行ってもらった方がいいよ」
心配する琳寧の声が遠くに聞こえる。しかし克樹はベッドから起き上がることができなかった。
何も考えられない。考えたくない。体が、精神がこの世から隔絶することを望んでいる。暗黒の淵に落ちて声なき声で叫び続けることしか出来ないでいた。
「舞台大成功だったのに…何があったの?そんなになっちゃうなんて…」
琳寧は布団にくるまった克樹の胴体をぽんぽんと優しく叩いてくる。そしてすぐにそこに思い至ったのか、少し神妙な声でこう問いかけてきた。
「…嶺亜先生となんかあったの?克樹…」
嶺亜の名前に体が反応してしまい、びくっと大きく痙攣してしまう。確信したかのような琳寧の溜息が流れた。
「…」
数秒の沈黙の後、克樹は掠れた己の声を聞く。
「…嶺亜先生が…」
そこからは言葉がもつれて、こんがらがって、支離滅裂な滅茶苦茶な単語の羅列を嗚咽混じりに吐き出していた。とにかくもう現実を見たくなくてそれはそれは自分でも酷い有様になっていた。
「…どこかで…僕は…気持ちが受け入れられないまでも…もうちょっと…マシな断られ方をするもんだと思ってた…でも…でもあの時の嶺亜先生の目が…もう目に焼き付いて離れなくて…」
気が付けばそこいらじゅうに涙や鼻水を拭いたであろうティッシュが散乱していた。そして最後の一枚を使い切ったところでそれまで黙って話を聞いていてくれた琳寧がうーんと顎に手を当ててこう言う。
「そっか…克樹、嶺亜先生に自分の気持ち言ったんだね。多分そうじゃないかと思ってたけど…」
「嶺亜先生にとって…迷惑でしかなかったんだ…こんな僕なんかに好かれたって…どうせ気持ち悪いだけ…」
「克樹、琳寧はそれ違うと思う」
きっぱりと琳寧はそう言い切った。克樹は顔を上げる。
「え…?」
琳寧は克樹のために、手をつけずに残してしまった夕飯をタッパに入れて持ってきてくれていた。そのタッパを開けて何故か自分がむしゃむしゃとその中のおにぎりを食べながら続ける。
「琳寧が思うに、嶺亜先生は迷惑とかそんなんでそう言ったんじゃないと思う。琳寧から見て、嶺亜先生は克樹のこと気に入ってたと思うよ。だって克樹のために色々してくれて、劇の本番もちゃんと観に来てくれたし」
「でも…僕は突き飛ばされて『二度とこういうことしないで』って言われて…」
「それは嶺亜先生の立場ならそうせざるを得ないじゃない?琳寧たち、克樹のことからかっちゃってはやし立てたりしたけど現実問題として教師と生徒がどうにかなっちゃったら、克樹はともかく嶺亜先生の立場はめちゃくちゃ危ないよね?生徒に手を出してクビになった教師が昔いたみたいだし。克樹は嶺亜先生クビにしたいワケじゃないでしょ?」
「それは…」
そこまで考えてなかった、というのが正直なところだ。あの時はもうひたすらに気持ちを嶺亜にぶつけて、それに応えてほしいという欲求しかなかった。冷静な判断や思考は遙か彼方に行ってしまっていたのだ。
「だけど、それならやっぱり僕の気持ちは受け入れてもらえないってことじゃ…」
そう、生徒と教師である以上それ以上でも以下でもない関係でいなくてはならないということは、そういうことだ。再びネガティブな感情が身を包み始める。
「まあそりゃね、映画とか小説なら教師という職を捨てて愛する人と一緒になる…なんて展開もあると思うけどやっぱ現実問題としてそうもいかないよ。克樹、ちょっと告白のタイミング早すぎたね。卒業式まで待てば良かったのに」
「そんなこと今更言っても…」
言ってしまったものはもう元に戻せない。これから嶺亜には避けられて過ごすという残酷極まりない仕打ちに耐えなくてはならないのか…それを思うと頭痛がした。
しかし琳寧はあくまで楽観的だった。
「でも嶺亜先生の方も克樹にそんなことしちゃって後悔してると思うけどね。いつも冷静な嶺亜先生らしくないし。きっと克樹の気持ちの強さにびっくりしたんだと思うよ。案外向こうから謝ってくるかも」
「そうかなあ…」
根拠のない期待をするよりも、どうやったら時が戻せるか考えた方がまだいいような気がした。
気がつけば琳寧が持ってきてくれたタッパの中身は全て彼がたいらげてしまって空っぽだった。