嶺亜に指導してもらえる…という期待を持ったまでは良かったが、手渡された台本を読み進めるうち、克樹は頭を抱えた。

「なんだこれ…一人で歌わなきゃいけないじゃん…セリフが多いのはまあいいとして…」

暗記は得意だからセリフが多いのはまだいい、問題は歌だ。何故かこの生誕劇はオペレッタの要素も組み込まれていて、主要な登場人物は歌を歌わされる。特にガブリエルは一曲まるまるフルコーラスの出番があった。

「ちょっと…今からでも代わってもれないかな…琳寧」

克樹はベッドの上で腕立て伏せをしている琳寧に泣きついた。彼はしかしヨセフ役になっていた。だがガブリエルよりマシだ。

「ダメだよ克樹。自分で立候補したんだから。それに琳寧喉壊しやすいからそういうソロとかあるとちょっとプレッシャーだし。そもそもヨセフだって誰もやりたがらないから上田先生に頼まれなきゃ琳寧だってやらないよ」

あっさり断られてしまった。

「じゃあもう仕方がない。背に腹は変えられないから今ぴーに…」

今野は紆余曲折あってマリア役を押しつけられた。というのも、マリアの衣装は少しスリム仕様で、体型的にこれが入る人間は限られてくるからだった。

「ダメでしょ。克樹じゃマリアの衣装入んないよ。今ぴーか矢花のどっちかしかダメだったじゃん。矢花のマリアもそれはそれでケッサクだけど」

琳寧は他人事のように笑っている。克樹は泣きそうになった。

「がんばんなよ、克樹。嶺亜先生につきっきりで指導してもらえたらこれを機に一気に親密になれるかもよ?」

琳寧が甘言を囁いてくるが、もう克樹は学習している。そんな上手くはいかない。

「けどきっと嶺亜先生はマリアしかやってないからガブリエルの指導は谷村先生になるに決まってる。そういやあの人未だに声小さくて聞き取りにくいけど本当にヨセフやったのかな…」

上田の話では嶺亜は在学時にマリアを、谷村はヨセフをやったとのことだった。マリアの衣装を着た嶺亜を妄想して涎が垂れかける。

「そうだ!毎年生誕劇はDVD収録して職員室に保管してあるって言ってたよね!見せてもらおう!」

克樹はガブリエルの憂鬱など彼方に飛んでいった。そして翌日の練習初日にそれを申し出てみたが…

「ハッキリ言って、僕らの年の生誕劇は大失敗だったの。だからお手本として見せられやしないから、評判の良かったその次の年の学年のやつ参考にして」

無情にも嶺亜に却下されてしまった。若干機嫌が悪そうだ。

「大失敗って…?」

谷村を見ると、彼もまた非常に気まずそうにいつも以上におどおどと挙動不審になっている。気のせいか、顔が青ざめていた。

「えっと…クラスの気持ちがあまり一つになってなくて…。あと、その…ガブリエル役の子が当日声が出なくなっちゃって歌えなかったから参考にならないかと…」

なんだか歯切れの悪い説明だがそれ以上追求のしようがなかった。落胆していると、上田がDVDケースを抱えてやってくる。

「うす。まずは全体像の把握からだ。これはお前らの先輩が演じたやつだ。本髙、お前随分悩んでるって菅田が言ってたからお前のために一番いいガブリエルだった年のやつ借りてきたぞ。参考にしろ」

「ハイ…ありがとうございます…」

初日はまずDVD鑑賞からだった。テロップに映し出された年度は10年前のものだ。嶺亜達よりも5年先輩だ。ちょうど克樹と嶺亜の年の差と同じ…。

「…」

克樹は演劇のことは分からない。歌の上手い下手もよっぽどでないとそう違って聞こえない。だが、そこに映し出されたガブリエル役の少年が一際強い光を放っていることは画面からも伝わってきた。

決して余裕で演じているわけではない。汗のようなものが額に浮かんでいるし、目もどこか所在なげに潤んでいる。

それでも見る者を引きつけ、ぐいぐいと迫ってくる輝きがある。まるで、荒削りのダイヤモンドのような…

この人はもしかしたらつきつめれば凄い役者にでもなっているんじゃないか、と克樹は思った。

舞台は大きな拍手で幕を閉じる。そして画面は暗くなった。

「どうだ?参考になったか?気合い入れてけよお前ら。経験者の指導もちゃんと聞くんだぞ」

上田はそれだけ言ってDVDを抱えて出て行った。暫く口々に感想を言い合ってざわついていたが、克樹は気付けば嶺亜がそこにいないことに気付いた。谷村はというと、相変わらず落ち着きのない様子でソワソワしている。

それから大道具や小道具の確認など、これからのスケジュールの相談になったが、嶺亜は戻ってくることはなかった。