「嶺亜、パン買ってきたから食べようよ。今朝、朝ご飯ちゃんと食べた?」

気遣う颯の声が背後から聞こえてくる。礼拝堂は声がよく響くから、今の嶺亜には殊更に重く響いた。

礼拝堂は当たり前だが飲食禁止だ。真面目な颯のことだからどこか場所を移して食べようと誘ってくれているのだろう。だが嶺亜に食欲は微塵もない。

「どうしたの?話があるって…生誕劇のこと?」

パンを手に、颯は嶺亜に歩み寄り、顔を覗き込んできた。その曇りのない純粋な瞳が直視できない。嶺亜は逸らす意味で視線をマリア像に移した。

数日前まで毎日祈りを捧げた。だが祈りは届かなかった。

今はその無慈悲なマリアの瞳を嶺亜は全く違った感情で見た。

懺悔

今こうして自分を心配してくれている友達を裏切ってしまったという罪悪感。そこから解放されたいという身勝手な願い…

そんな自分を、マリア像は憐れんではいない。悔い改めよと責めているようにも見えた。

全てを曝け出し、罪を悔いる。その意味で嶺亜は颯をここに呼んだ。

「劇だったら無理しなくてもいいよ。俺が勝手に言えたことでもないけど…でも、今の嶺亜の気持ち考えたら誰も無理にやれなんて言えないから」

そうじゃない。嶺亜は声にしようと思ったがそれは掠れてしまって響かなかった。

「岸先生にも、俺から話しとくしとにかく嶺亜は無理しなくても…」

岸の名前が颯から出たことによって自分が大きく動揺してしまったのが、颯にも伝わった。彼はきょとん、とした表情を向けている。

「どうかしたの、嶺亜?岸先生が…」

嶺亜はこの時初めて颯の目を見た。ステンドグラスのような、色鮮やかで美しいその瞳を。

「颯」

嶺亜は自分の声を認識した。それはかすれることなくきちんと発声され、颯にもきちんと届く。彼は「何?」と疑問符を投げかける。

「僕はね…」

嶺亜は颯に歩み寄る。そして目の前に立った。

「岸と…」

告白している自分の声を遠くに聞く。まるで第三者がナレーションしているかのような感覚に陥っているのはここから逃げ出したいという思いといなくてはならないという義務感。そのせめぎ合いからだ。

全て話し終えた後、しんと耳に痛い静寂が訪れる。しかしそれは時間にしてほんの数秒のことだった。だが嶺亜には永遠とも思えるほど永く感じる。

静寂を打ち破ったのは小さな破裂音だった。その次に鈍い痛みが右の頬に走る。

「…俺が…」

感情を抑えようとする颯の声を嶺亜の聴覚は辛うじて捉えていた。

「俺が、笑ってそれを聴き流すと思った?」

颯の声は震えている。嶺亜は頬の痛みを手で抑えた。じんじんと走る痛み…それに耐えながら嶺亜は首を横に振る。

思っていない。だからこうして話した。嶺亜は颯にどうされてもいいという覚悟でここに来たのだ。そう、殺されてもいいとすら…

そうしてくれたらどれだけ救われるだろう。だが颯はそうしてくれなかった。それ以上は何も言わず、黙って走り去って行く。

頬の痛みと共に、嶺亜はマリア像を見上げた。

この痛みは過ちの代償としてはあまりにも軽すぎる。

マリアはそう言っているように見えた。